天皇の料理番・篤蔵の実話モデルになった秋山徳蔵氏

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秋山徳蔵が見た天皇陛下と料理番というお役目

By: Jun Seita

度々触れているご本人が記した書籍の中で、非常に説得力あふれる、興味深い文言が多くありました。

 

私は、陛下ほど民主的な方はないと信じている。四十年間お傍に仕えた私がいうのだから、誰が何と言おうと、真実である。そのへんにいるつまらぬ役人どもや、政治家の方が、ずっと非民主的である。

秋山徳蔵著 「味 – 天皇の料理番が語る昭和 (中公文庫)」P83より引用

 

 

私は偶然、京都にいたときに今上天皇と皇后さまが乗っている車がゆくのをみたことがあるのですが、「えっ、天皇皇后両陛下ってこんなフレンドリーなの!?」と衝撃をうけるほどの笑顔で、身を乗り出して道路脇にいる市民に手を振っておられたのを覚えています。ここで言う四十年間使えた天皇は昭和天皇のことですが、陛下が民主的と言われると確かに腑に落ちるところがあります。

そして、テレビで見る政治家たちや、たまに行く役所の不親切な対応を思い出すと、さらに腑に落ちてしまうところがあります(笑)

 

意外なほど質素な天皇陛下のお食事内容

天皇陛下のお食事というと、贅沢で庶民とは全く違う世界のものというイメージがありますが、その点ははっきり否定しています。戦前のよき時代でも、戦時中、そして苦労した戦後であっても庶民と同じような食事内容でした。しかも純白のご飯をお出ししたい料理番の立場ながら、陛下はそれをお許しにならず、外米を混ぜたり、パンを焼くにしてもきな粉やとうもろこしを混ぜるなど、質素で慎ましい食事を続けられたとのこと…。

陛下からは好き嫌いを申されることもなければ、食べたいものをお望みになることもなかったので、食べる量や残すもので察していたといいます。特に戦後は日本が苦しい立場に追い込まれ、庶民も非常に厳しい生活でした。陛下も心をお痛めになっていたのか食欲がなくやせ細り、料理もよく残されていたといいます。この当時のことを、秋山徳蔵氏は料理人として最も過酷な時代だったと振り返っています。

 

天皇の料理番・秋山徳蔵氏が思う料理哲学

料理というのは真心である。

これが秋山徳蔵氏の一つの料理哲学です。

 

書籍の中で度々触れられているのが、料理人が専門的に作る料理と、家庭で味わう料理は全くの別物としていたことです。そして、自身が思う一番美味しい料理はなんと「家庭料理」なんだそうです。料亭で食べる料理より、家で食べる料理のほうがよっぽどうまい。何も考えずに食べられて、そして何より真心がこもっているからだと。

またそれ以外の理由として職業病とも言えるこんな事情が紹介されていました。色々な場所で料理を食べるものの、全く食事が楽しめない。 この味はどうなっているのかと、いちいち味を解剖してしまう。味に対して全神経を働かせるから、ちっともうまいと思わない。料理屋を後にしてから「うまかったなぁ」と思い出すのだが、食べている最中にそれを感じられないから、不幸なことこの上ない、と。

今の時代の料理人にも言えることかもしれませんが、料理の世界とは程遠い私のような一般庶民とは全く違う世界観です…。

 

天皇の料理番のドラマの楽しみ方

ドラマでは下っ端の修行時代やフランス修行時代など、宮中で働き出すずっと以前のことも描かれるはずです。その内容も事実に則したものだと思いますが、ここで紹介したような「最終的な姿」に繋がっていくサクセスストーリーの過程として見るのも楽しいかもしれませんね。

 

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