TBSでドラマ化されている「天皇の料理番」は物語に登場する主人公の篤蔵は実在の人物、秋山徳蔵氏(故人)をモデルにしたものです。史実→原作小説→ドラマという流れで作品化されたものなので、少しずつズレと違いが生じており、史実とドラマを比較するとあらすじの骨格は事実に基づいたものでも細かい設定は大きく離れている可能性が高いと言えます。
篤蔵のモデルになった秋山徳蔵氏は一体どんな人物だったのか、ご本人が記された書籍の内容を参考にしながら紹介したいと思います。
天皇の料理番・篤蔵の実話モデルになった秋山徳蔵氏の概要
ドラマの原作になっている小説は事実に則した内容ではあるものの、細かいエピソードは創作のためフィクション扱いになっています。ただ原作の「天皇の料理番」を読んだ後、モデルになった秋山徳蔵氏本人が記した「味」という書籍を読んでみると、大部分が事実に則したものであることがわかります。
幼き頃に坊主に憧れて入門したものの先祖のお墓を崖に突き落として波紋になったこと、大阪に憧れて家出したこと、料理長の献立表を盗む事件を起こしたこと、フランス時代に日本人という理由で理不尽な扱いを受け、ナイフで脅したことなど、宮内庁で働き出す以前のことも本人が記した書籍で紹介されていました。
また、その一方で中国に料理研究のために中国を食べ歩いたことや、内閣総理大臣にもなった西園寺公望公との逸話、吉川英治、菊池寛といった時代を代表する作家たちとの交流といった小説ではあまり語られていない所も紹介されています。
本人による回顧談は「溺愛していた」という妻の俊子については語られていました。しかし小説で詳細に描かれていた女性関係は全く語られていません。故郷で結婚していた妻を捨て去って東京に出てきた話も一切語られておらず、またフランス時代の女性の話も出てきていません。まぁ自分で書いた書籍なの、でこの辺のことは仮に事実であっても書けないでしょうが。
厳しい料理の世界を勝ち抜いてきた秋山徳蔵氏と若者感が興味深い!
この書籍で書かれていた文言で特に興味深かったのが、料理の世界で当時理不尽なほど厳しかった修行時代を振り返った以下の部分です。明治~昭和の時代では料理人は決して尊敬を集める職業ではなく、それは厳しい厳しい職人の世界。そんな世界で下っ端から修行を重ねてきたのが秋山徳蔵氏です。
まことに、乱暴と言えば乱暴、だが禅味たっぷりな教育方法である。つまり、自力で悟れということなのである。教えてもらうのではなく、先輩の持っているものを引張り出せというゆき方である。
(中略)
今の若い人達は、まるっきり様子が違っている。
ひッ叩くどころか、それはやり方が違うよ-と注意したぐらいで、プンと向こうへ行ってしまう者もいる。そんなのは極端な例だが、いったいに、仕事を向上させたいという熱意より、その仕事で収入を得るという意識のほうが遥かに強いから、どうしても、腕そのものはお留守にならざるを得ない。
(中略)
しかし-この、しかしを私は声を大にしていいたいのだが-自分の仕事に対する真剣さということ、こればっかりはどんな世の中になっても、変りなく大切なことで、それがまた食っていゆくのにもぜひ必要なことだと思うのだが、その点、今の若い人たちの考えが不思議でならなくなる時がある。
秋山徳蔵著 「味 – 天皇の料理番が語る昭和 (中公文庫)」P25~27より引用
「最近の若者は…」と不満を持つ年配の方はどの時代にでもいるもので、ここで書かれている内容も今の若者に対しても一致する内容かもしれません。しかし、この本が出版されたのは1955年ですよ、今から60年前。ここで登場する「若者=二十歳前後」と仮定すると、つまり2015年現在で80歳前後の方々を指しています。今の時代だって昔の時代だって、若者と年配の方は相容れないものがあったんでしょう(笑)
ただ、(中略)で省略したところには、時代が既に変わったこと、こういった若者の価値観もやむを得ないことなど、かなり譲歩した記述があります。最後の「しかし~」の所は強調されているものの、料理の世界に訪れる新しい時代の到来を予感して、しかもそれを楽しみにしている雰囲気が伝わる文章であったことは追記しておきます。