あさが来た成澤泉のモデル成瀬仁蔵と広岡浅子の日本女子大学創立秘話

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NHK朝ドラの「あさが来た」の主人公、今井あさのモデルになっているのが日本女子大学創立に深くかかわり、女性蔑視の時代に実業家として活躍した広岡浅子さんというお方です。

広岡浅子の生まれは江戸時代末期、新選組や坂本龍馬などが活躍した幕末期の京都で、幼少期の経験が後の女子大学創立に深くかかわっています。朝ドラの原案にあたる「土佐堀川」やその他広岡浅子に関する本をいくつか読んでいると、非常に興味深い点が浮かび上がってきました。

 

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「女に教育入らぬ」…商家の伝統で幼少期に受けた理不尽な読書禁止令

広岡浅子がうまれたのは今なお日本経済をけん引する三井財閥の三井家の生まれ。当時から豪商として知られた三井家では、女性に教育入らないという商家の厳しいしきたりがあり、良妻賢母が理想の女性の生き方とされた時代にマッチしない活発な子供でした。

相撲や木登りが好きというお転婆娘だったようですが、広岡浅子本人は当時のことを「一週一信」でこう述べています。

私の兄妹や従兄弟等は、学問を一時も怠ってはならぬと、指導を受けて居りましたが、傍らに見て居ると私は、女なるが故に学問は不要だと云はるゝのを、熟々残念に思ひました。

それで人知れず四書五経の素読に耳傾けては学問に非常なる興味を持つやうになりましたので、家人は大に心配して、厳重な制裁を加へ、私の十三歳の頃読書を一切禁ずるやうにと申渡されました。

然し、圧迫益々強ければ、これを打ち破らんとする精神は愈々(いよいよ)固く「女子と雖(いえど)も人間である。学問の必要がないと云ふ道理はない、且つ学べば必ず習得せらるる頭脳があるのであるから、どうかして学び度いものだ」と考へました。(原文ママ)

広岡浅子の生涯 (別冊宝島 2387) P017、著書『一週一信』で語られる当時の出来事より引用

今となっては当たり前のことですけど、当時はそれが当たり前じゃなく常識破りだったんですね。今の当たり前があるのは、こういう方たちの頑張りが合ったからこそ。

ちなみに広岡浅子は17歳で両替商の加島屋に嫁いでから、事業を番頭に任せっきりだった夫を見てかねて、封印していた知識欲が爆発。水を得た魚のように勉学に励んだとあります。

その後実業家として玄人成功を積み重ね、政財界の重鎮たちと交わっていくなかで女子教育の重要性を確信していきます。

 

女子教育の必要性を強く感じて広岡浅子に協力を求めた教育家、成瀬仁蔵との出会い

IMG_20150924_155800.jpg広岡浅子の生涯 (別冊宝島 2387) P060より引用
左下には「提供:日本女子大学」の文字

広岡浅子に日本発の総合女子大学校設立の協力を求めた成瀬仁蔵はもともと山口県の出身で、教育一家の家系に生まれます。もともとは男尊女卑の思想が強い儒教の影響を強く受けいていましたが、キリスト教に触れて考えを一新。

その後女学校で教鞭を執り、32歳でアメリカに留学。日本の女子教育の必要性を強く感じ、その思いを「女子教育」という著作にまとめます。その著作を読んだ広岡浅子が深く感動、共感し、資金面だけでなくあらゆる面で成瀬に協力をしていきました。

朝ドラのあさが来たでは「成澤泉」という役名で、瀬戸康史さんが演じています。瀬戸くんと言えば、2015年の大河ドラマ「花燃ゆ」(井上真央主演)で吉田稔麿役で出演していました。大河に朝ドラの連続出演ということで、”NHKに好まれる俳優路線”を突っ走っていますね。笑

 

明治34年、1901年に日本女子大学校が創立

資金調達は、三井家という由緒有る家に生まれ、事業面でも顔の広かった広岡浅子が中心となって政財界の重鎮に働きかけ、明治34年にようやく東京に日本女子大学校が開校しました。

成瀬仁蔵が苦労の末に開校させた学校について、関連書籍にはこう書かれています。

創立者であり、初代校長となった成瀬仁蔵は、日本女子大学校の教育理念について、「女子を『人として』『婦人(女性)として』『国民として』教育すること」とし、「信念徹底」、「自発創主」「共同奉仕」という「三綱領」にまとめている。

これはそれぞれ「自らの人格を高め、使命を見出し、全身全霊を尽くして前進する」「各自の創造的能力の尊重と開発に努める」「より良い社会を作るための連帯感と協調を図ることを教える」という3つの内容をさすという。

広岡浅子の生涯 (別冊宝島 2387) P060より引用

勉学だけでなく体力をつけるのも重要視されたようで、渋沢栄一宅で運動会が開かれたりした様子も紹介されています。

あと、面白かったのが女子生徒たちが集まっている写真を「日本式バスケットボールの様子」として紹介されていたこと!写真よりも日本式バスケットボールという聞き慣れない謎の競技が気になってしまいました。昔の写真を見るのは面白いですねー。

 

晩年も女子教育に邁進した広岡浅子

悪性の腫瘍、乳がんが見つかって手術し命をとりとめてからも女子教育には力を注ぎ続けたのが広岡浅子です。静岡県御殿場にある広岡家の別荘に女性たちを集めて夏期勉強会を開催。

その参加者の中には以前の朝ドラでヒロインのモデルになった村上花子など、多方面で活躍した女性たちが多数参加していました。

幼少期の読書禁止に始まって、徳川幕府の時代から明治、時代の変革期を乗り越えて事業を展開してきた女傑実業家は、晩年になっても後世の女性のために尽力を欠かしませんでした。

非常に面白いのは、幼少期に学問禁止を言い渡されたことが影響したのか、ただ単純に学問が好きだからなのか、読書している様子をおさめた写真が多数残っていること。

IMG_20150924_155832.jpg広岡浅子の生涯 (別冊宝島 2387) P017より引用
左下には「提供:日本女子大学」の文字

広岡浅子の生涯 (別冊宝島 2387)」の書籍で見ると、上の写真のように本を読んでいる広岡浅子の写真が多数掲載されています。これ意外にも和装で本を読んでいる写真もありますし、よほど強いこだわりがあって写真を残したのかもしれませんね。

今の時代は変な意味での女叩き、男批判もはびこっていますが、こういう時代を真摯に生き抜いた人の障害を垣間見ると、謙虚になれますね。背筋がピンッと延びそうになるのは私だけではないはず(笑)


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