広岡浅子と村上花子の関係と影響【朝ドラ・あさが来たのモデル】

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2014年のNHK朝ドラで「花子とアン」で描かれた村岡花子さんは、2015年の朝ドラのモデルである広岡浅子さんと深い関わりがあります。師弟関係とまでは言えませんが、広岡浅子さんが晩年に静岡二の岡で開催した勉強会に村岡花子さんが参加しています。

しかもその勉強会が村上花子にとって非常に大きな影響を与えたようで、後年そのことに関し「自分が作家を志したのは二の岡で過ごした夏であった」と振り返るほどでした。

私は花子とアンは見ていなかったのでどう描かれていたのか知らないんですが、史実関係の方を紹介したいと思います。

 

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朝ドラ、二人のヒロインモデルの深い関わり…広岡浅子と村岡花子の関係

「あさが来た」のモデルである広岡浅子が静岡県の二の岡で勉強会を開催するようになったのは1914年66歳のとき。71歳で死去しているので、亡くなる5年前のことです。

その勉強会は当初、自身が創立に深く関わった日本女子大学の生徒たちが中心でしたが、徐々に参加者の幅は広がっていきます。翻訳家として活躍した村岡花子がその勉強会に参加したのは1916年のこと。

当時彼女は山梨英和女学校で教師をしていましたが、勉強会への参加をキッカケに作家の道へと進んでいきます。

 

村岡花子が広岡浅子の勉強会に参加したきっかけ

もともと村岡花子はキリスト教系の女性団体、「矯風会」で婦人問題に触れていました。その団体を通じて広岡浅子が村岡花子の存在を知って、勉強会に参加を呼びかけ、それに応じて参加したのがきっかけ。

キリスト教系の団体を通じて知り合ったの背景には、広岡浅子は乳がん手術で一命をとりとめてからキリスト教に関心をよせるようになったからです。しかも意外だったのは、村岡花子の方から参加の意思を見せたのではなく、広岡浅子の方から参加を呼びかけたこと。

このあたり、積極的な姿勢が本当に熱心さを表していますねぇ。ちなみ勉強会に参加した当時、広岡浅子は(計算上)68歳、村岡花子(同じく)23歳のとき。親子以上に離れた二人でどんなやり取りがあったのか・・・。

 

村岡花子のその後の活躍は周知の通り

IMG_20150924_180736.jpg広岡浅子の生涯 (別冊宝島 2387) P104より引用、勉強会参加時の村上花子
写真は「提供:赤毛のアン記念館・村上花子文庫」と明記あり

赤毛のアン、イソップ童話集、ふしぎの国のアリスなど、数々の作品に関わる名翻訳家として村上花子は活躍していきます。この辺のことは朝ドラでも描かれたように、ご存じの方も多いでしょう。

朝ドラのヒロインが前年のヒロインと深い関わりがあるというのも興味深い展開ですね。

最後に一言。

広岡に、村岡とややこしい上に、「村上だっけ、いや村岡だ」「白岡…いや広岡だ」と記事を書きながら、一人むなしく大混乱に陥ったのはここだけの話。

 


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