吉田松陰が妹・杉文と久坂玄瑞の結婚祝いで宛てた手紙

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 大河ドラマ・花燃ゆでは妹の文と兄の寅次郎(吉田松陰)は非常に仲が良く、可愛がっている様が描かれます。実際、いろいろな書籍・資料を見ていると大半のものは「年の離れた妹をとても可愛がっていた」とか、「13歳離れた妹が可愛くて仕方なかった」と記載されています。

しかし、吉田松陰が妹の文にあてた手紙で現存するものは、意外にもたった一通しかありません。長女の千代への手紙は何通も残っているのに、文に対しては一通のみです。しかもその一通は文が久坂玄瑞と結婚した時に宛てた手紙で、しかも現存するものは草稿、つまり下書きです。

歳がかなり離れていたというのは、可愛がっていたと見ることも出来れば、歳の差ゆえにやや距離があったとみることも可能です。ただ、この一通が非常に有名な一文を含む手紙で、しかも妹を想う兄のリアルな姿を滲み出しているのも、また事実。

 

 

吉田松陰が久坂玄瑞との結婚した時に妹・文に宛てた一通の手紙

手紙の内容は「文妹久坂氏に適(ゆ)くに贈る言葉」と題し、まず文頭でかの有名な一文から始まります。

久坂玄瑞は防長年少第一流の人物にして、固(もと)より亦天下の英才なり

 

反対に妹の文に対しては当時15歳という幼き少女ということもあってややトーンダウン。妹の文はまだ幼く劣っていて、久坂の妻にはまだ適していないのは明らかである。しかしその人が自ら励み、学び、勤めればどんなことでも成し遂げられると励ましています。

貞節専心のごときは嫁の初めに在り

離婚や死別で別の男の元へ嫁ぐこと、黒い着物を着て歯を黒く染めることの意味すら知らないといった当時の世の中の礼節の乱れを嘆いています。久坂玄瑞が禁門の変で自決し、文は22歳という若さで未亡人となりました。しかし、その後はしばらく独り身を続け、後に楫取素彦(小田村伊之助)と再婚するときにも、「再婚すべきでない」という兄の教えに背くとして、当初再婚に前向きでなかったという逸話があります(最終的に母・滝の強い要望で再婚を決意)。

 

妹の文に宛てた手紙のなかで繰り広げられる松陰の講義

さらにその手紙では人に教えを説くのが大好きだった松陰らしく、手紙の中で松陰流講義が始まります。

「是(こ)れ則(すなわ)ち婚礼の第一義」とし、班昭(はんしょう・古代中国の女性歴史作家)が記した「専心編」を薦めました。結婚で嫁ぐ文には最も重要な本として、さきほどの本を挙げました訳です。ちなみに、姉の千代に宛てた手紙でも松陰講義が突如始まることが多々あり、やはりおすすめの本を実際に挙げて是非読むように、と薦めています。もっと言うと、2番目の妹・寿に宛てた手紙では「新年はなぜ目出度いのか」を永遠と説く手紙までありますw

そして最後、文に読書をするように、と書いています。もともと「文」という名前は叔父の玉木文之進の名の文字を取ったもので、文之進に非常に可愛がられたとも。文という名前の由来や意味を考えて、読書をするようにとエールを送る形で締めくくっています。文に宛てた手紙で現存するものはこれしかないのですが、文はこの手紙を読んで何を感じ、何を教訓として後世を生きたのでしょうか。

 

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