久坂玄瑞が遺した手紙・妻の杉文がまとめた涙袖帖

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 久坂玄瑞は1984年、京都御所における禁門の変に敗れ、御所内で自刃しました。25歳でした。このとき、妻の文は22歳。後に41歳で楫取素彦と再婚するまで、亡き夫が遺した手紙を大切に保管しています。

再婚のとき、亡き夫の手紙21通を携えていたことを、夫の楫取素彦は寛大に受け止め、それらをまとめた涙袖帖(読み方は「るいしゅうちょう」)が出来上がります。その手紙の内容は重要歴史資料となりました。

 

 

久坂玄瑞の手紙・「涙袖帖(るいしゅうちょう)」

久坂玄瑞photo by wikipedia-久坂玄瑞

久坂玄瑞が生前残した文(美和子)に宛てた手紙を束ねたもので、楫取素彦と再婚する際にこれを持っていくことを条件としたといいます。手紙が書かれた時期、場所などを推定し装丁を施し、「涙袖帖」としてまとめました。涙袖帖という名前は忠臣蔵で討ち入りした赤穂浪士の一人、小野寺十内が妻に送った「涙襟集」にちなんで名付けられたもの。

この涙袖帖は全部で21通の三巻からなるもので、久坂玄瑞から妻の文へ届けられた手紙が収録されています。その内容は「久坂玄瑞全集」や「楫取家文書・一」という歴史資料にも活字で紹介されていて、今日でもその内容をうかがうことが出来ます。しかし、久坂玄瑞直筆の原書は一巻6通のみが現存、他の二巻については残念ながら戦時中に失ったようです。一坂太郎著の「吉田松陰のその家族」によると、他の二巻についてこのように言及されていました。

平成五年(一九九三)、楫取の曽孫楫取松若(明治四十年生)からうかがったところによると、二巻は他の荷物とともに信州へ疎開する途中で列車が爆撃を受けたために失われ、一巻だけ「支那鞄」に入れて別置していたので助かったのだという。

一坂太郎著「吉田松陰とその家族-兄を信じた妹たち (中公新書)」P245より引用

 

戦時中の爆撃によって紛失してしまったとのことで、非常に残念です。ただ、直筆の手紙が1巻6通だけ残ったのは不幸中の幸いでしょうか。現在では山口県にあるマツノ書店という所から復刻版が発売されています。こちらはAmazonなど一般販売サイトでは手に入らないもののようです。

 

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