高杉晋作創設の奇兵隊…悲しき結末と同時代の意外な評価

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初代内閣総理大臣で幕末当時は高杉晋作の弟分として使いっ走りにされていた伊藤博文は高杉晋作をこう評します。

 

動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し

 

明治維新の原動力となり天下の勝者となった長州において、高杉晋作が創設した奇兵隊は近代軍備を兼ね備えた勝者の象徴です。現代では多くの書籍などで英雄やヒーロー像として崇められた高杉晋作像が紹介されているのは、有名ですね。

しかし、吉田松陰をはじめ、松下村塾の門下生はもとより高杉晋作も維新直後の萩城下では疎んじられる存在でした。つまり彼らに対する評価が向上したのはずっと後のことで、同時代を生きた萩の人々の間では評判がすこぶる悪かったのをご存知でしょうか。

当記事では今までにさんざん語り尽くされたヒーローや英雄としての高杉晋作ではない、もう一つの意外な姿を奇兵隊の運命とともにリアルに紹介していきます。封建社会を打ち崩す奇兵隊の創設者でありながら、毛利家家臣としての家柄を誰よりも誇りに思った高杉最大の矛盾と庶民の目線、そして奇兵隊の悲しい最期まで、長文ですがお付き合いいただくと嬉しいです。(スマホ画面では記事が長文過ぎるため、ページを分割しています。)

 

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高杉晋作が創設した長州藩の軍隊・奇兵隊の概略

奇兵隊Wikipedia-奇兵隊より引用

奇兵隊は高杉晋作が23歳に創設した近代的な軍隊です。奇兵隊日記には、かの有名な下りがあります。

 

 

臣に一策あり。
請う、有志の士を募り一隊を創設し、
名づけて奇兵隊といわん

 

 奇兵隊。

身分を問わず志あるものの入隊を認め、近代国家設立のための原動力となす。しかし、武力が必要となるのは乱世と動乱の時代のみ。ひとりでも多く兵力を欲しがった時代は過ぎ去り、戊辰戦争が終結し平和な時代が訪れると、彼らは用なしとなります。

つまり、奇兵隊は維新の後は単なる厄介者でしかなくなったわけです。藩も有り余る兵力を持て余すこととなり、奇兵隊はいうなれば勝者の中の敗者。近代化に取り残された不満分子の巣窟となりました。

 

奇兵隊の活躍と輝かしい実績

奇兵隊は長州藩の正規兵とは別に創設された軍隊。藩の正規兵は武士で構成されましたが、武士階級は所詮全体の1割に過ぎず、彼らだけでは戦えないと判断した高杉晋作は、農民であれ商人であれ志があれば入隊を認める規則を設けました。身分制度にうるさい当時の封建社会では画期的な軍隊でした。

全体の構成は武士が半分、農民四割、商人その他一割。奇兵隊に習い、身分を問わない軍隊が次々に長州で創設され、それらを総称して「諸隊」と呼ばれました。諸隊は最も多い時期で400を数え、一大兵力として長州を支えていきます。

奇兵隊は1864年の禁門の変以降、四カ国聯合艦隊との対決、第二次長州征伐(四境戦争)、戊辰戦争と主要な戰場で存在感を増していきます。

 

歴史の教科書には出てこない奇兵隊の意外な実態

一坂太郎氏が記した「長州奇兵隊―勝者のなかの敗者たち (中公新書)」によると、平成四年に下関で講演会の後にお爺さんがこんなことを話していたといいます。

 

「奇兵隊などというのは、どこにも行き場のない、荒れくれ者の集まりだった。仕方がないから、奇兵隊にでも入るか、という感じじゃった。やれ、あの家の鼻つまみ者が奇兵隊に入ったとか、町の者は噂した」

一坂太郎著「長州奇兵隊―勝者のなかの敗者たち (中公新書)」P92より引用

 

また、こんな話も。引用元は同じ書籍、同じページです。

そういえば奇兵隊隊士金子文輔の日記には、隊士数人で俵山温泉(現長門市)に湯治に行ったら、「余輩入浴すれば他の浴客皆去る」(文久三年九月四日の条)とあります。

 

京で活躍した新選組もそうでしたが、やはり乱暴で威圧的な人々は庶民にとって厄介な存在だったのでしょう。戦時中だって、軍人は庶民にしたら近寄りたくない存在ですよね。結構な騒ぎを起こしたり、乱暴を働いて人を斬ったりしたこともあって、奇兵隊もそういう目で見られていたようです。 

 

※この本の著者の一坂太郎さんは幕末の長州藩関係の書籍を多く出版されている方で、NHKの久坂玄瑞に関する番組にも出演されていました。歴史の楽しみ方は小説やゲーム、ドラマなどのエンターテイメント的なもの、歴史的評価なもの、実際の話を知りたい人など色々ありますが、この書籍は「実際はどうだったか」という観点では非情に興味深い話が多く収録されています。こういった「歴史上の人物が実際はどうだったか」というエピソードを知りたい方にとっては興味深く読める良書だと思います。

 

入隊に関しての実態

奇兵隊は身分を問わず入隊できましたが、入隊希望者は諸隊に入れば武士として取り立ててもらえるという噂がありました。実際、赤根武人が士気高揚のために藩へ願い出ましたが、却下されています。

そのため隊士は武士に取り立てられることはなく、隊の中では武士と農民などは服装などで細かく区別されました。かなり細かい規則があったようですが、その辺はどこまで守られていたかは曖昧で、結構緩い部分もあったようです。鬼の副長と言われた土方歳三が獄中法度と称して厳しい規則で取り締まったのとは対照的ですね(法度の内容が全然違いますが)

また入隊は原則「志ある希望者」となっていますが、実際の所は半ば強制で入隊させていたことも合ったようです。農民の記録には「命により入隊」させられた者も多く、どんな心境で入隊していったのか、今となっては想像の域を出ません。

 

維新後には用なしのなった奇兵隊と藩の骨肉の内戦

明治維新後、奇兵隊などの諸隊には総勢五千人にも及ぶ余剰戦力が持て余されました。そのため、藩は半分は兵として残し、もう半分は解散という名を下します。しかし、解散する者と残る者は身分によって区別されたために不満が爆発。

居場所のなかった荒れくれ物が武士や軍人になることを夢見て、天下国家のために命を危険にさらして戦ったら、ていよく使い捨てられたことになります。自分たちこそが明治維新の原動力という自負がありながら、充分な論功行賞も行われないままの使い捨てでした。

家に戻っても次男三男は養子にも行けず耕す田畑もなく嫁も貰えない。冷や飯を食わされるだけの余生は彼らにとって受け入れられません。

 

鎮圧にあたったのは木戸孝允(桂小五郎)

民衆を巻き込んだ農民一揆も重なり、ついに脱退騒動と呼ばれる反乱を起こすことになります。事情を知った木戸孝允は断固武力に寄って討伐すべしとの方針を固め、兵を率いて鎮圧に当たります。奇兵隊などの諸隊は実戦経験が豊富で苦戦しましたが、彼らは決定的な弱点により総崩れします。

弱点、それは優れた指導者がいなかったことです。一度崩れ始めると歯止めが効かなくなり一気に総崩れし、鎮圧軍は勝利します。

 

脱退兵による反乱は首謀者たちの斬首、処刑など血を血で洗うようなすさまじい最後を迎えました。処刑場では大声で叫ぶもの、暴れまわるもの、銃で打たれて血だらけになって首を落とされるもの…。無様な最期と騒ぎを城下に漏らしたくない藩はラッパを吹いてごまかしたとか…。

維新の主役であった長州藩に、勝者の中の敗者が野に散っていきました。

 

教科書には出てこない長州における明治維新の本当の姿

高杉晋作の縁者だからと縁談を断られた当時の逸話

高杉晋作亡き後、晋作の姉の娘、つまり晋作から見た2人の姪はまだ年齢若く独身でしたが、なんと嫁の貰い手が見つからなかったそうです。なぜ嫁の貰い手が見つからなかったかというと、高杉晋作の縁者だったからです。

高杉家は士族。藩の政治中枢を担うで上級武士の家柄です。当然、晋作の家族や親戚は皆同じ様な家柄で、嫁ぎ先も嫁いでくる嫁も同じようないい家柄でなければいけません。しかし高杉晋作というと乱暴者で荒れくれ物の巣窟だった奇兵隊を創設し、穏やかに平和に暮らす人々の生活を脅かす血なまぐさい戦をどんどん起こしていきます。

 

高杉晋作が萩で評価されたのはずっと後世のこと

天下国家のためとはいえ、自分たちが暮らす街で西洋の近代的な武器弾薬を結集し、天皇や幕府を敵に回して朝敵の烙印を押される。その騒ぎの中心にいたのが高杉晋作で、戦に勝とうが負けようが庶民にとっては面倒な乱民でしかありません。

だってあなたの家の近所で「天下国家のため」と言っては動乱や戦を起こして天皇を敵に回して自衛隊と戦おうとする人間がいたら、いくら戦争に勝ったとしても「彼らは英雄だ!」と言って高評価するのは難しいでしょう?頼むから平和を壊さないでくれ、と思うのが世の常です。

しかも士族の家の人間にしてみれば、平和な暮らしの中で人々の尊敬と羨望を集める家柄だったのに、それをぶち壊されてしまいました。近代化の名のもとに封建制度をぶち壊し、版籍奉還、廃刀令、士族剥奪などの武士階級の人々にとって没落の一途をたどる契機を作った明治維新の原動力…高杉晋作はもはや元凶でしかありません。歴史は同時代では評価されにくく時代の変化と共に正しく評価されていくのです。

となれば、高杉晋作の近親者の縁談はそりゃぁ苦労したようです。一人は未亡人の男のもとに嫁に行ったらしいですが、高杉家の二十歳の女性の嫁ぎ先としては不本意だったかもしれません。

 

松下村塾の門下生の家族は村八分に…

松下村塾の門下生だった野村靖の回顧録によると、松下村塾の門下生という理由で母と妹は村八分に遭い乱民の烙印を押されたといいます。松陰の母、滝も松下村塾の塾生が次々に騒ぎを起こしていくに従って近所の人間は寄り付かず疎遠になり、肩身の狭い暮らし強いられました。

あの高杉晋作とて、父に「松陰とは縁を切ると誓い、今後は心配しないようお願いします」との手紙を送っています。保守的で約束された将来がありながら、危険なことをしでかさないか心配で心配でしょうがなかったのが晋作の父です。

 

歴史の表舞台だけを見れば彼らは輝かしい実績と共に英雄としてもてはやされますが、こういった当時の庶民の目線も含めた内容こそが本当の歴史というものです。

 

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