この記事ではNHK朝の連続テレビ小説「マッサン」のモデルになった竹鶴政孝についてご紹介します。ニッカウヰスキーの創業者であり、国産ウィスキー開発の第一人者。正直、彼については様々な研究者が資料や研究を進めており、彼について理解しようとすると数冊の書籍を読み進めなければいけません。
そこで竹鶴政孝に関するトピックを挙げ、各トピックの詳細は別記事にてご紹介します。この記事は竹鶴政孝に関するまとめ記事なので、各自興味関心のあるトピックを読み進めて頂ければと思います。では行きましょう!
目次
竹鶴政孝の概略と経歴
この記事では竹鶴政孝の生涯を時間軸にそってご紹介しています。広島県竹原市にある竹鶴酒造の3男として生まれ、長男、次男が酒造りとは違う道に進んだことから彼が跡取りとなる予定でした。(※ドラマ内では姉と妹の女兄弟がフォーカスされていますが、史実では四男五女の3男。研究資料には上の二人の兄弟のことは出てきますが、それより下の兄弟については記述が特になく、詳細は不明)
中学時代の後輩には後の日本総理大臣になる池田勇人がおり、寮生活では竹鶴政孝の布団上げ下げ係だったことは有名な話です。池田勇人との友情はおとなになっても続き、国際会議などの重要舞台でも好んで彼のウィスキーを出させたという逸話も残っています。
竹鶴政孝の出自と出身地広島県竹原市
竹鶴政孝の出身地であり、生家である竹鶴酒造でドラマの撮影が行われました。そのロケ情報や、竹原ロケの撮影発表会の会見の様子もお伝えしています。モデルになった人物のご実家で撮影が行われるなんて、ロマンがありますね。
スコットランドへの留学とリタとの結婚
摂津酒造へ入社した彼は徐々に存在感を示し、ついにウィスキー開発のいろはを学ぶため、単身でスコットランドへ留学。そこで生涯ん妻となるリタという女性と出会います。その出会いや彼女の家族の記録、のちの竹鶴政孝本人の自伝など様々な角度から紹介。結婚を決めた時の日本での大騒動など今となっては笑える話が満載。
また、生涯にわたって彼ら夫婦に実子に恵まれませんでした。しかし、生まれて間もない女の子を養子に迎え、北海道時代にも20歳の甥を養子に迎えています。娘への愛情と後にギクシャクした関係などもここで取り上げています。
摂津酒造への復帰と退社
ドラマの中の住吉酒造のお話。西川きよしさんが社長が経営する会社と、その娘の存在にフォーカス。住吉酒造への入社、スコットランドへの留学の経緯、そして帰国後の退社の一連の流れに加え、摂津酒造が存在していた場所についても、また2人が居住していた住吉でのロケについて記しました。
また、ドラマに登場する結婚を予定していた田中優子という女性はドラマの中にだけ登場する人物で、現存する資料や研究報告ではこのような女性の存在は確認できませんでした。ドラマを盛り上げる「いびり役」として、相武紗季さんと泉ピン子さんがご活躍されることでしょう。笑
竹鶴政孝とサントリー創業者、鳥井信治郎との関係と出会い
後のサントリーへと成長していく寿屋を経営する鳥井信治郎との関係に迫ります。ドラマでは鴨居商店の鴨居欣次郎という役で、堤真一さんが演じている役です。「やってみなはれ」が口癖のロマン溢れる起業家でした。
また、ウィスキー製造のために建設された山崎蒸留所は現在ではサントリーの工場として稼働しており、工場見学やイベント等を多数開催しています。竹鶴政孝と鳥井信治郎の夢が詰まった蒸留所です。
リタとの死別
見知らぬ国にやってきて日本人となった妻のリタ。その生涯と最期について記しました。日本と英国が戦争状態となり、英国出身の彼女は非常に厳しい立場に追い込まれます。64歳で生涯を閉じましたが、晩年は愛鳥を崩しがちになり入退院を繰り返していました。
生涯年表と、スコットランドへの帰省記録もあわせて御覧ください。
今後も記事を追加予定
竹鶴政孝の晩年やニッカウヰスキーでの成功なども含め、まだまだ興味深い項目があります。紹介したいトピックが固まり次第、今後も記事を追加していく予定です、
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