マッサン/鴨居英一郎の今後と実在モデル鳥井吉太郎の事

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 朝ドラ・マッサンに登場する鴨居欣次郎のモデルは現・サントリー創業者の鳥井信治郎氏ですが、その息子として登場する鴨居英一郎のモデルはやはりその息子、鳥井吉太郎氏です。ドラマの中では第11週/子に過ぎたる宝なしで登場し、亀山夫妻のもとに居候をすることになっています。

そんな彼のモデルになった、鳥井吉太郎氏がどんな人物だったのか、また竹鶴政孝の関係性はどうだったのか。竹鶴政孝側からの書籍や研究を元にではありますが、この点について分かる範囲で紹介します。

 

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鴨居欣次郎の息子、英一郎は鳥井吉太郎氏がモデル

連続テレビ小説 マッサン Part1 (NHKドラマ・ガイド)

ドラマ内での設定では亀山夫婦のもとに居候をし、山崎蒸留所にて修行する立場です。息子の英一郎は商いのために家族を犠牲にする強引なやり方に反発し、特に病気で亡くした母親の世話よりも仕事を優先させてきたことに強い憎悪を抱いており、親子関係にヒビが入った状態でドラマに登場します(後に和解)。

鳥井吉太郎氏と竹鶴政孝の関係を紐解いていくと、竹鶴政孝本人による自伝、研究者が執筆した書籍には数カ所の記述があります。前述のような父との確執については一切記述はありませんし、実際にあったとしても書きにくい内容であるため、あえて伏せたとも受け取れます。ただ、竹鶴政孝側の書籍からはその詳細は断定できませんでした。

竹鶴政孝と鳥井吉太郎の関係性

鳥井吉太郎氏は竹鶴政孝と共に山崎蒸留所でウィスキー製造には実際に携わっていました。会社の方針(父の意向)もあってか、山崎蒸留所では息子の修行のためという意味合いが強かったようです。

また、ドラマ同様に竹鶴宅で生活を共にしていたこともあったと自伝で記述があります。亀山エリーの流産に関係する部分、父との確執の所はドラマの中の設定だと思いますが、かなりドラマと史実は近い内容にしてあるようですね。

ウィスキー事業を継ぐために欧米見聞に

1931年(昭和6年)8月には、ウィスキー事業を継ぐことを前提に知識を習得しようとしている最中であった鳥井吉太郎氏は竹鶴政孝の案内でウィスキーの本場スコットランドとぶどう酒の本場フランスに訪れています。このときのことを、竹鶴政孝は自伝で以下のように語っています。

吉太郎さんは、神戸高商を卒業後、寿屋を継ぐために鳥居さんの仕事を手伝いながら勉強されていた。私の家にあずかって、一緒に生活をしたこともあり、妻のリタともたいへん親しかった。

吉太郎さんを案内して、スコットランドの蒸留所やフランスの、葡萄酒の本場ボルドーを初め、欧米を回って日本に帰ってきたのは翌七年の二月であった。

ウィスキーと私(竹鶴政孝) P94から引用

昭和6年8月~翌2月のおよそ7ヶ月間も欧米を見聞していたことになります。しかし残念ながらその努力もむなしく、鳥井吉太郎氏はその9年後の1940年9月に33歳という年齢でこの世をさりました。父、鳥井信治郎氏が亡くなったのが1962年ですから、父よりも20年以上早くに亡くなったことになります。

ただし、短命だった吉太郎には息子の信一郎がおり、彼がサントリー三代目の社長に就任しています。ちなみに2代目社長は吉太郎の弟、佐治敬三氏です。

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