【マッサン】住吉酒造のモデル摂津酒造の詳細と跡地場所

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NHK朝の連続テレビ小説「マッサン」にはモデルとなった実在の人物「竹鶴政孝さん」のお話です。そこに登場する人物や企業、エピソードも実際の話をモデルにしていますが、一応朝ドラのストーリーはオリジナルの脚本になっている「フィクション」です。今回は西川きよしさん演じる田中大作と、彼が社長を務める住吉酒造について詳しく見ていきます。実在の人物、竹鶴政孝との関係や史実とドラマの脚本の相違点などに注目しました。

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住吉酒造のモデルになった摂津酒造

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住吉酒造のモデルになっているのは摂津酒造という実在した会社です。竹鶴政孝は大阪の学校(現在大阪大学)で学び、広島の実家の跡取りとして酒造を継ぐ予定になっていました。兵役や卒業のタイミングなど当時の彼には複雑な事情があったものの、卒業前の段階で学校の先輩を頼り摂津酒造に入社。実家の酒造は日本酒を製造していたので、彼の専門であり希望であった洋酒の製造を一度経験してみたいと言う意思から、飛び込みでの青田買いならぬ「青田売り」に関心を示した阿部社長は彼を受け入れました。

摂津酒造の社長はスコットランド留学を後押ししたが、夢かなわず

18歳での入社ながら頭角をあらわし、さらに兵役が免除されるなどの幾つかの事情も重なった結果、摂津酒造(ドラマでの住吉酒造)の阿部社長は竹鶴政孝にスコットランド留学を持ちかけます。日本で本格的なウィスキーの製造を視野に入れてのことでした。摂津酒造は洋酒を扱っており、彼に対する期待の大きさと将来性を見込んでの提案でした。

スコットランドから帰国し、さあウィスキー開発だという時になって計画は頓挫。戦時下で景気が悪化し資金繰りに苦難していた摂津酒造はウィスキー開発の余裕はなく、取締役会でウィスキー開発の計画はなんと却下されてしまいます。スコットランド留学の資金援助や様々な支援をしてもらったにも関わらず、結局竹鶴政孝はその後すぐ退社することに。社長であった阿部氏とは生涯関係を続けたそうですが、なんとも言えぬ幕切れだったようです。

結婚を約束した一人娘の存在

ドラマ内ではスコットランド留学からの帰国後に結婚の予定があった女性(相武紗季)の存在がありましたが、史実にはそういった女性はいませんでした。ただ、社内で彼を疎ましく思う人間がいたのは事実のようで、社長のお気に入りであいつには甘いという陰口も色々とされていたそうです。(参考記事:相武紗季演じる田中優子の存在は実在したのか?

竹鶴政孝が去った後の摂津酒造

史実では竹鶴政孝は1920年11月に妻のリタと共に帰国しましたが、1922年(大正11年)には退社しています。その後、摂津酒造は42年後の1964年(昭和61年→訂正;昭和39年)に現在の宝酒造と合併しています。宝酒造側のHPなどを色々と調べてみると、合併の理由を「事業拡大のため」としており、摂津酒造は現在では宝酒造の一部となっています。

摂津酒造があった跡地場所の今の様子

ドラマの中での住吉酒造は大阪の住吉に構えており、大阪の愉快な仲間たちとのお話が描かれています。実際の摂津酒造もドラマの設定と同じく大阪の住吉にありました。正確には大阪府大阪市住吉区帝塚山東にあり、帝塚山は竹鶴政孝が帰国後に新居を構えた地でもあります。

その跡地ですが、現在は団地が建設されており摂津酒造がそこにあった形跡はまったくありません。Google Mapのストリートビューではその団地の様子が見れました。


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