朝ドラ・とと姉ちゃんに登場する三姉妹の次女、鞠子役のモデルは大橋晴子さん。長女でヒロインモデルの大橋鎭子さん、三女で末っ子の芳子さんは既に他界していますが、晴子さんは94歳でご存命でおられます。
保険会社に勤務した後、姉が立ち上げた出版社で働き、社内結婚。ドラマではクールで勉強ができる、時に感情を爆発させるような性格の鞠子はどんな人のモデルの女性だったのでしょう。
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三姉妹で唯一晴子さんは結婚し、子どもを育てた【三姉妹の次女・小橋鞠子】
鎭子(ドラマ内常子)、晴子(鞠子)、芳子(美子)の中で唯一の既婚者で、お子さんを出産されました。姉が起業した出版社に3姉妹揃って働き、26歳の時に経理担当の横山さんと社内結婚。結婚後は家庭に入り、男の子と女の子の二人の子宝に恵まれました。
また、結婚後も実母の久子(ドラマ内君子)、姉と妹、1人の家政婦さんの8人で同居生活だったそう。この帰る場所があったからこそ、鎭子さんと芳子さんは思う存分仕事に打ち込めたのかもしれません。旦那さんは女性ばかりの環境で肩身が狭くなかったのかな?なんて想像する私は器の小さい人間でございます。
とと姉ちゃんでは大学に進学する鞠子
とと姉ちゃんのあらすじを読んでいくと、次女の鞠子は大学進学を希望し、長女の常子も学費の援助をすべく働きに出ます。早稲田大学に進学するストーリーでしたが、史実では女学校卒業後のことは見当たらず。
ドラマ内では相良樹さんが演じ、勉強が出来てクールな性格。とと姉とは真逆の性格で、お互いを支えあい、補完しあう関係です。ドラマの中では、あらすじが進んでいくに従って3姉妹の中の「対比」が色濃くなっていくと思うので、この辺に注目すると面白そうです。「あさがきた」の「あさ」と姉の「はつ」の関係なんかモロにそうでしたしね。
ただ、さすがに頭は切れるタイプだったようで、仕事でも活躍したそう。
資金的に苦しい会社立ち上げの草創期に大活躍
出版社を立ち上げるとき、まず銀座に拠点を構えました。その拠点を探し当てたのが晴子さん。
銀座は印刷所にも近く、出版社としての仕事を考えると銀座は都合が良かったのでしょう。戦後の焼け野原のなか、当時近くの保険会社で勤務していた晴子さんは昼休みや仕事終わりに一軒一軒しらみ潰しに当たり、ついに空き部屋を見つけます。そこが、暮しの手帖社の最初のオフィスです。
また、立ち上げ草創期は資金繰りに行き詰まることも多々ありましたが、一番最初の資本金を勤め先の知り合いに頼って調達してきたのも晴子さん。(このお金は現在の価値で500万とも1,000万とも色々言われていますが、当時は戦後の混乱期でお金の価値に上がり下がりが激しかったため、正確に現在のお金に換算するのが難しいという事情もあるのだとか)
いずれにせよ、会社立ち上げ期の晴子さんの活躍がなければ、今の暮しの手帖社はなかったでしょう。
横山晴子さんへの取材記事が暮しの手帖別冊に掲載されている
暮しの手帖社が出している、別冊「しずこさん」という書籍の中で、ご本人が写真付きで登場されております。また、共同生活していた家政婦さんも登場しています。家政婦さんいわく、「1週間のつもりが60年たっていたの」とのこと(笑)
さすがにお写真の掲載は個人サイトとはいえ遠慮しておきますが、記事自体はもちろん、家族の写真や暮しの手帖社の貴重な写真なども豊富な雑誌なので、ご興味があれば手にとってみてください。ご自宅の写真や台所まで公開されています。
花森安治がおかっぱ頭で真っ白な短パン半袖姿で野球をしている貴重な写真も掲載されています(笑)私はその写真を見て思わず吹き出してしまいました。