NHK朝ドラの「あさが来た」で登場する加野屋は実在した両替商、加島屋がモデルになっています。史実での広岡浅子は現在の大同生命と日本女子大学の設立に大きくかかわり、この2つが大きくクローズアップされていますが、銀行も設立しています。
もともと浅子が嫁いだのは両替商で、現在の銀行のような商売をしている家でしたから、むしろ銀行の方が本業と言ってもいいぐらい。朝ドラでは炭鉱事業や日本女子大学設立の方が大きく扱われますが、銀行の方はどうだったのか、史実を基にして紹介したいと思います。
朝ドラ・あさが来たの加野屋のモデル、広岡浅子が関わった加島銀行のその後と現在
朝ドラのヒロイン、白岡あさのモデルになっている広岡浅子が加島(かじま)銀行を設立したのが1888年のこと。詳細は後述しますが、現在この銀行はは既に廃業してます。
明治維新が1868年のことなので、新しい時代が幕あけしてから実に20年後のことでした。加島銀行の初代頭取は広岡正秋。彼は浅子の夫、信五郎(朝ドラでは玉木宏演じる白岡新次郎)の弟です。
家督は普通、兄であり浅子の夫である信五郎が当主になるのが一般的ですよね。もともと広岡家には長男、次男(信五郎)、三男(正秋)がいましたが、長男は早世。長男が亡くなった時点で次男の信五郎は既に分家の養子となっていたことから、三男に実家の家督が移ったという事情が背景にありました。
朝ドラの原作小説「土佐堀川」での加島銀行
加島銀行は明治以降の加島屋にとっては中心的事業。浅子が炭坑事業に乗り出したりはしていますが、あくまで加島屋の本業は両替商であり、今の銀行業です。加島銀行設立後、当然広岡浅子も事業への熱の入れようは強かった模様。朝ドラの原案となった土佐堀川でも当時画期的だった女子行員の採用と教育に力を注ぎました。
算術や簿記、そろばんなど女性が一人で社会で仕事をして、自立してお金を稼いでいけるように教育にもかなりの熱が入っていたことが描かれています。これが後の女子教育への布石になり、日本女子大学校設立へと繋がっていきます。
既に廃業し、現在の加島銀行は存在しない
現在の加島銀行はどうなっているのかというと、実は既に廃業しています。アメリカで起きた世界恐慌の煽りが日本にもやってきて、昭和恐慌と呼ばれる大不況の波に飲み込まれる形で廃業に追い込まれてしまいました。
広岡浅子が没したのが1919年、加島銀行が廃業したのは1937年のことでした。小説の土佐堀川では、恐慌の際に預金を引き出そうとする客が殺到して資金繰りに行き詰まるという難局がありますが、広岡浅子亡き後、不況の波を超えることなく加島銀行は姿を消しました。
しかし、広岡浅子が存命中に整理・開始した保険事業は現在の大同生命に繋がっていますから、(中心的な存在だった銀行は廃業してしまいましたが)保険事業では現在まで生き残ったということになります。
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