大阪の肥後橋にある大同生命本社ビルのメモリアルホールで開催されている「大同生命の源流・加島屋と広岡浅子」という展示会に行って来ました。無料で入館することが出来、朝ドラファンには興味深い関連資料もたくさんもらえる特別展示会です。開催されているのは知っていたんですが、なかなか行けず…。
そこで!!
デン!!!
行って来ました、大同生命本社ビル。
目次
NHK朝ドラ「あさが来た」特別展示!「大同生命の源流~加島屋と広岡浅子」
この展示会は平日に訪れたのですが、大盛況でした。資料スペースそのものはそれほど大きくありませんが、展示物は豊富で解説もかなりの本格的なものでびっくりしました。1時間程度で見れると思います。
平日に行ったせいもあってか年齢層は相当高かったですけど、出張できている会社員の方やグループで来ておられる年配の方、主婦グループなど30人以上は常にいたと思います。あさちゃん人気すげぇわマジで。
あさが来たの加野屋のモデル、加島屋の関連資料と解説が豊富
展示会は大阪梅田から近くにある、肥後橋の大同生命本社ビル。ビルの2階に進むと展示会の受付があり、簡単なアンケートに答えて無料で展示会に入れます。
展示の種類をざっくり分類するとこんなところ。
- 加島屋の歴史取引や番頭、奉公人に関するもの
- 新選組の借用書
- 広岡浅子に関するもの
- 広岡家に関するもの
- 大同生命の本社ビルの建造物について
- 大同生命の歴代社長と広岡家の関わり
展示が終了したところでTVが置いてあって、そこで一回12分の再現VTRなどが見れます。本当は写真もここで掲載したほうが分かりやすいのですが、人が多すぎて迷惑になりかねなかったこと、一般の人も写真に入り込んでしまうなどの理由で自粛しました。写真は商用利用はNGでしたが、個人用やブログ掲載はOKという注意書きがありましたよ。
広岡家の集合写真もありましたが、朝ドラのふゆ(実在の小藤)が夫の側室(めかけ)になって子供を出産する下りはさすがに書かれていませんでした(笑)まぁ大同生命とはあんまり関係のないことですからね。
▶白岡あさ(広岡浅子)の子供・亀子と夫新次郎の側室ふゆ/あさが来た
加野屋のモデル、加島屋は江戸時代の豪商だったことを裏付ける資料が盛り沢山
朝ドラでは加野屋という名前で登場する、白岡あさが嫁いだ両替商は加島屋という実在した両替商です。加島屋は江戸時代初期ぐらいからある豪商の一つでしたから、資料も豊富残っており、大坂のみならず幕府とも連携して日本経済を支える重要な民間企業でした。
もともとはお米を扱う家だったこと、米相場や取引、蔵屋敷など専門的な当時の商売習慣がこれでもか、とパネルで解説されています。驚いたのが、江戸時代に米の需要と供給のバランスが崩れて不況が訪れた時に幕府と連携して相場介入を行ったことや当時の記録が今でも残っているという点。
今では日本銀行が相場介入や政府主導で経済政策を行っていますが、規模の大小はあるにせよ当時の加島屋もその一端を担っていたことがわかります。
当時の賃借対照表まであった
江戸時代の加島屋が取引していた諸藩は全国で約100ほど。全国300藩といわれた時代ですから、3分の1の大名と取引していたことになります。また、当時の経営状況を示す賃借対照表も解説されています。
解説によると、利子による収入が多く、貸付はほぼ自己資金でした。担保は米。貸付が滞るリスクには、担保にとったお米以外にその藩で出来る名産品の売却金をあてるなど、色々なリスク対策が行われていたことがわかります。たとえ相手が大名であっても、財政状況を示す資料の提出を求めていたり、さすがに江戸時代であっても金融業。今の時代の銀行ともやっていること(融資)の本質は変わらないですね。
加島屋の奉公人に関するルールで吹き出しそうになった
米取引や当時の経済状況の解説も面白かったのですが、内容がかなり本格的で難しいです。その後に出てきた、加島屋で働いていた奉公人に関するルールが興味深かった。例えば、年少の奉公人に関しては手を上げて怒らないとか、「病気の時は薬を与えて好きな食事を与える」とか、「使用の外出は3回まで」とか。足袋の使用は4月1日~9月8日までとかね。
月に3回は肴と一緒に酒を呑むとか、こんなルールまで決めていたのかと。で、吹き出しそうになったルールがこれですよ。
店が暇な時は午後から碁と将棋を許す
えええええ!
新選組の近藤勇、土方歳三直筆の借用書も展示
展示品は複製品だと思いますが、新選組が400両の大金を加島屋から借金した際の借用書も展示されていました。幕末ファンだった私も、今まで雑誌や本では写真で見たことがありますが、実物を見ると興奮しますね(笑)
400両は現在のお金で約2,000万円。確か借用の翌年あたりに返済という取り決めでしたが、徳川幕府が倒れ、近藤勇は倒幕派に捕まって処刑されました。土方歳三は倒幕派との戦いを続け、北海道の函館で行われた戊辰戦争で戦死したことから、この約束は保護になったと思われると解説されていました。
大正期に建てられた大同生命ビルと現在のビル
もともとは土佐堀川のほとりにあった加島屋のこんな姿。
それが近代化の波に乗って、広岡浅子が存命中に建設された本社ビル。その模型が掲載されていました。
朝ドラ、あさが来たの原案になった小説・土佐堀川でも現代的な巨大ビルディングが建設され、喜びのに湧くシーンが有りました。今では当時の建物の一部を残しつつ、さらに現代的なものに変身。今ではこんな超巨大なビルに。
150年の時代の流れというのはすごいな。
持ち帰りできる資料もたくさんもらえます
大同生命本社ビル近くにあるゆかりの地が地図にまとまったものや、江戸時代の付近の地図が掲載された資料、広岡浅子に関する資料など数点をその場で頂けます。
「明治・大正時代と現代がコラボ!びっくりポン!な大阪」という冊子まであったり、SANKEI EXPRESSの特別版で特集冊子なんかがあったり、朝ドラのお供にいい資料が盛り沢山です。あさちゃんが乗り出した筑豊の炭坑についても、九州福岡県のどのあたりにあったのかを地図で示した記事も掲載されています。
大同生命の源流・加島屋と広岡浅子の展示会は大阪で開かれています。詳細は下記リンク先で。
▶ 特別展示『大同生命の源流 加島屋と広岡浅子』を一般公開中!
お近くの方はぜひ足を運んでみてください。私は大満足でした。大同生命本社ビルの目の前には原作のタイトルにもなった土佐堀川が今も静かに流れていますよ。