朝ドラ、「あさが来た」に登場する加野屋の当主は近藤正臣さん演じる白岡正吉。そのあとを継ぐことになっているのが栄三郎です。栄三郎のモデルは白岡正秋という人で、この人は現在の大同生命初代社長を務めたお人。
大同生命本社ビルで開催されている「加島屋と広岡浅子の特別展示」に行って来ましたが、初代社長ということもあって写真も豊富で非常に大きく扱われていました。史実とドラマとでは設定が異なっているので、広岡正秋というお人柄も踏まえつつ紹介しましょう。
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26歳で加島屋当主、加島銀行初代頭取を務めた広岡正秋
朝ドラ、あさが来たに登場する白岡栄三郎は広岡正秋氏がモデル。
ドラマではまだ年少ですが、加野屋の当主はのちのちこの栄三郎が継ぐことになっていますよね。あさの夫、新次郎(モデルは白岡信五郎)はフラフラと遊びまわっては仕事に精を出さない「どっちかって言うたら腰抜け」のキャラですけど(笑)、新次郎もこれから実業界に進出していきます。
余談ですが、もともと史実では、広岡家には3人の男兄弟が居ました。長男がいて、次男が信五郎、三男が正秋。長男がいたので、次男の信五郎は分家の跡継ぎになりましたが、その後に長男が亡くなってしまいました。そのため、加島屋当家の跡継ぎは三男の正秋となったのです。
広岡正秋、実業家としての肩書は超一流
ドラマではまだまだ年少で飽きないそのものを勉強中というシーンが多いのでイメージがつかないと思いますが、実は史実ではかなりのやり手。後に広岡浅子たちと創立する加島銀行の初代頭取はもちろん、第一回大阪市議会議員を務め、さらには大同生命の初代社長も務めます。
さすがに本家の当主とあって、加島屋が関わった主要事業の中心的存在でした。江戸時代の両替商時代から明治に入り、近代化の波が押し寄せる社会背景の中、金融グループとしての加島屋の基盤を作り上げた人でもあります。
史実とドラマでは年齢が違う?加島屋当主になったのは明治2年
と、ここまでは史実。朝ドラの栄三郎に関して振り返ると、実は史実とドラマではかなり設定が違います。もともと広岡正秋が広岡家の当主となったのが明治2年の26歳の時。この時に前当主だった父が亡くなっています。(※この正秋が当主になった年齢は、原作土佐堀川と朝ドラと史実とでそれぞれ多分違います。大同生命の記録によると26歳)
しかし、朝ドラでは明治に入ってからも近藤正臣三演じる当主の正吉は顕在だし、むしろあさちゃんの炭鉱事業を陰で応援するぐらいの余裕がある(笑)さらには弟の栄三郎もまだ成人前だし、この辺の時系列は色々と設定を変えているようですね。
あさがきたの原作小説・土佐堀川での広岡浅子と正秋
原作では、炭坑事業や日本女子大学設立のために東西奔走、多忙を極める広岡浅子が絶大な信頼を寄せていたのが正秋。もともと当主が正秋、分家の嫁として関わる浅子という関係なので、浅子が信頼を寄せるというのも変な話ですが(笑)
一つ気になっているのが、実在の広岡正秋は明治42年、1909年に亡くなっていること。広岡浅子は1919年に亡くなっており、原作の土佐堀川では病で急死ししてしまう正秋に愕然とし、悲しみにくれるシーンもありました。ドラマでは栄三郎はまだ年少ですし、ヒロインのあさとも年齢差がかなりありますから、この辺どうまとめてくるかなぁと。
浅子が設立に関わった日本女子大学にも多額の資金援助をしたと言われていますが、確か土佐堀川では浅子が女子大設立に奔走している中で東京にいる際に、その知らせが届いたシーンが有ったと思います。まさに痛恨の極みというシーンでしたが、どうまとめるでしょうね。