君は優秀だ、しかし久坂くんほどではない
後の吉田松陰に関する研究や松下村塾に関する書籍には、吉田松陰が意図して久坂玄瑞と高杉晋作のライバル関係を作り、煽ったと書かれている。このドラマでも同様、高杉晋作は久坂くんほどではないと面と向かって、しかも本人たちを目の前にして寅次郎は平然と言ってのける。
自分自身に対する才能への確信とプライドを擽られた晋作は怒り狂い、あまりの悔しさに身がちぎれるほどであった。しかし、由緒ある家柄の息子が罪人が開く塾に出入りするなど、もってのほか。晋作の父は息子に強く釘を刺した。
退屈で退屈で暇で暇でしょうがない
すべてを兼ね備えている高杉晋作も、彼なりに悩んでいた。何をやっても退屈で面白くないのである。色町で遊ぼうが、詩をよもうが、学問をしようが、つまらないのだ。将来を約束されているし、それに対して誇りもある。でも、本音ではそれがつまらない。
つまらないのは、志がないからではないか。私(寅次郎)はこの国をよくすることです。志があれば、罪人であれど生きるのは楽しい。そして、やる気や生きる源は尽きることがない。志は誰も自分に与えてくれない。君は何を志すのか?
言葉を話せない敏三郎とすべてを兼ね備えた男、高杉晋作
この二人は同じ悩みを抱えていた。自分は誰かに守られる身でしかない。自分自身の足で立ち、独立し自分の志す道を目指して歩を進めたい。敏三郎は既に守られるだけの存在ではなかったし、すでに志を持った一人の男だ。
文にとっては、身の回りの世話も、小さいころからずっとみてきた自分ではなく昨日今日やってきた高杉晋作という男に、敏三郎が全てを打ち明けた事実を受け入れられなかった。一見、高杉晋作がそそのかしたことで道を外しそうになっていると危機感を覚えていた文だったが、敏三郎は敏三郎で思い悩んでいたのだった。
そして高杉晋作自身も、寅次郎の元にやってきてこう告げる。学問がしたい、と。俺が本気になれば、久坂など相手にならん。
寅次郎は「さぁ、それはどうでしょうね」と言って2人は笑った。
寅次郎のもとにはその後も続々と人が集まり、才能に優れ行動力に溢れる若い人材が集結していた。その中には、当時百姓の出に過ぎず低い身分でありながら陽気な性格を持った一人の男、伊藤利助の姿もあった。後の内閣・初代総理大臣、伊藤博文である。
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