花燃ゆ・吉田松陰が野山獄で記した福堂策とは?

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NHK大河ドラマの中でも取り上げられた、吉田松陰が野山獄で記し藩に提出した福堂策。これは藩主に提出した建白書の一種で、獄に入れられた人間に対する処遇についての内容であり、獄の中に身を置いた人間だからこそ書ける内容になっています。

 

人は生まれながらにして善き存在であることを信じた吉田松陰の福堂策

松下村塾 (講談社学術文庫)

大河ドラマの中でこんなやりとりがあったのを覚えているでしょうか。

「人は生まれながらにして善き心を持っている。悪ではない」

この考え方は孟子の影響を受けたもので、実際の吉田松陰も彼が遺した記録、日記にもこの考え方に即していたことが明らかになっています。人は生まれながらにして善き心を持っていて、根っからの悪人はこの世に存在しないという考えです。

 

福堂策は野山獄に対してだけではなく、罪人に対しての処遇の改善を求めたものです。具体的に言うと、獄内では役人が全てを監視・管理するのではなく獄囚たちによる自治に任せ、学問や諸芸を身につけさせるべきである。さらには、人間たるもの一度罪を犯したとてその人全てを否定すべきではない、と。

福堂策に記された吉田松陰自身の言葉を書き示すと、以下のようになります。

一事の罪、何ぞにわかに全人の用を廃するを得んや

罪は病のごときもので、それは治癒させればよいというのが根底にあり、また、長年牢獄へつないでおくのは、まことに惨い仕打ちで、三年を一限として、改悛の情が見られる者はすぐにでも釈放すべき、とも。

自身が国禁を犯して投獄されておきながら、罪人に対しての処遇を軽減せよ、と建白書を提出するのですから、まぁ狂った一面を持っていたことは否めません。(福堂策に関しては「吉田松陰と久坂玄瑞 高杉晋作、伊藤博文、山県有朋らを輩出した松下村塾の秘密 (幻冬舎新書)」など関連書籍に詳しく掲載されています)

 

これを機に野山獄に変化が起きたのも事実

しかし、吉田松陰が評価されるところは、福堂策に書いた内容をもとに実際に野山獄で変化を起こしたことです。野山獄へ入れられるともう生きては出られないと言われたのはドラマ内だけではなく、史実でも同様でしたが、その様相を変えたわけです。

富永有隣をはじめ。その他多くの囚人たちがその後松陰の影響を少なからず受け、学問に励んだり詩や句に精を出しました。その結果、松陰の尽力もあって囚人たちの多くが出獄を許され、立派な人物として余生を送ったとされています。

富永有隣に限っては出獄後に吉田松陰の主宰する松下村塾で講師の役割を担い、その後幕府軍と交戦するなどの活躍を見せました。ちなみに、富永有隣は明治期の著名な小説家である国木田独歩の「富岡先生」のモデルになった男です。

 

野山獄で繰り広げられた松陰の講義風景

大河ドラマ花燃ゆでは吉田松陰が囚人たちに孟子の講義を行い、それを食い入るように聞くシーンがあります。しかも、その側で獄を管理する役人の福川犀之助までも聞き入るという、微笑ましい一コマです。

あれはドラマ特有に拡大演出したものではなく、限りなく史実に近い風景です。野山獄は生きては戻れぬ暗黒の世界でしたが、松陰が投獄されたことで雰囲気は一変し、さながらあおぞら学級が繰り広げられる学校のようだったと言います。

書籍や資料には、福川までもが松陰の人柄にほれ込み、弟子入りしたとかしないとか…。いずれにせよ、囚人を管理する役人までをも引き込み、福川が松陰の講義に夢中になったのは間違いない模様です。

>> NHK大河ドラマ・花燃ゆ大特集ページへ <<

 

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