富岡製糸場の閉鎖を食い止め、陣頭指揮を行った楫取素彦
当然、彼1人で閉鎖の危機を乗り切ったわけではありません。楫取素彦は改革を行った主者というより、その改革を行うために群馬県知事という立場から協力体制を敷いたと言えます。新井領一郎が渡米した時も、その費用を楫取素彦が県費で負担・工面したそうなので、何が何でも存続させるという強い意思があったのでしょう。
吉田松陰が残した短刀
余談ですが、新井領一郎氏が1876年に渡米する際に、楫取素彦の妻で吉田松陰の妹であった寿が、吉田松陰の形見の小刀を護身用に持たせたそうです。若き日にペリー率いる黒船に乗り込み、アメリカへの密航を計画しつつも頓挫し処刑されていった兄の意思を彼に託したのでしょう。その後領一郎は日米貿易の先駆者として成功を収め、日本人として初めて生糸の自家輸出に成功、その後も様々な名誉を授かっています。
吉田松陰形見の刀は今もアメリカに存在し、新井領一郎氏の子孫、新井領蔵氏がカリフォルニア州で家宝として保管(諸説あり)しているとのこと。紫色の綿布に包んで渡したそうですが、どのようなものか想像を掻き立てられます。吉田松陰の形見は時を経てアメリカへ渡り、天国にいる吉田松陰もさぞ喜んでいるかも?しれませんね。
短刀については諸説あり
この短刀に関しては諸説あり、2014年発行、一坂太郎氏著の「吉田松陰とその家族-兄を信じた妹たち (中公新書)」という書籍では「現在行方不明」となっています。一方、同じく2014年の同時期に発行された大野富次氏著の「「花燃ゆ」が100倍楽しくなる 杉文と楫取素彦の生涯」では「家宝として大切に保管」とあります。どちらも、新井領一郎の子孫が書き記した「絹と武士」に触れ、短刀について言及した所を紹介しているのですが、最期の結論が全く違っておりハッキリしません。
幕末期の長州藩に関する研究では圧倒的に一坂氏の方が知名度と経歴、出版実績があり、当時の資料を多く引用しており信頼性が高いです。大野富次氏は銀行員出身の群馬県郷土研究者で、(私個人の印象では)やや内容に偏りと疑問がつく部分が多々あります。先ほど挙げた書籍でも「坂本龍馬暗殺の黒幕は西郷隆盛」と完全に断定していたり、歴史的資料や研究書としてはやや客観性に乏しい所があります。
吉田松陰についても「大した人物ではない」という結論ありきの印象操作的内容に終始していたこともあり、書籍の信憑性は一坂氏の方が高いと考えるのが自然かと思います。ただ、短刀の行方についてはやはり客観的な証拠がなく、結論は導き出せません。
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