吉田松陰が松下村塾を引き継いだのは安政3年(1856年)のことで、野山獄から釈放され自宅謹慎(蟄居)となった1年ほど後に松下村塾を継承。自宅で親類に披露した孟子の講義が評判を呼び、ペリーの黒船に乗り込んだ者による塾として人々の関心を呼びました。
なかには国禁を犯した罪人の塾として揶揄する人間もいたそうですが、幕末維新期で活躍し後世に名を刻んだ偉人たち(久坂玄瑞、高杉晋作、入江九一、吉田稔麿、品川弥次郎、前原一誠、伊藤博文、山県有朋などなど)が続々と入門しています。
松下村塾で学んだ主な門下生・塾生と双璧・四天王の存在
松下村塾門下生の双璧・三秀・四天王
松下村塾の門下生には高杉晋作と久坂玄瑞で松下村塾の双璧、
前の二人に吉田稔麿が加わって三秀、
さらに入江九一が加わって四天王と称されます。
奇しくもこれら四天王は明治維新を迎える前に全員最期を迎えており、皆20代でこの世を去ってしまいました。一方で、入門当初身分の低さに遠慮してか、講義は外から遠慮がちに聞いていた上、高杉晋作の下っ端扱いだったという伊藤利助(後の伊藤博文)。
彼が最終的に初代内閣総理大臣にまで上り詰めたのも興味深い話です。
桂小五郎と松下村塾
ちなみに長州藩士で維新三傑の一人、桂小五郎(木戸孝允)は松下村塾の出身ではありません。藩校明倫館で松陰が教える側、桂小五郎は聴く側だったことがあるようで、終生松陰を慕ったとも。年の差は松陰が2つ年上。
さらに余談ですが、久坂玄瑞と結婚した松陰の妹・文は、桂小五郎との結婚話が持ち上がった事があります。松陰の友人、月性という僧の薦めだったそうだが、松陰自身が久坂との結婚を望んだこともあり、実現しませんでした。
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