長州藩士・小田村伊之助(後の楫取素彦)の生涯概要

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 長州藩士・小田村伊之助(後の楫取素彦)の生涯…大河ドラマ花燃ゆで脚光浴びる

楫取素彦photo by wikipedia-楫取素彦

小田村伊之助、楫取素彦という名前に聞き覚えがある人は全国的に少ないと思います。県知事を務めた群馬県や彼の故郷である山口県の方ならいざしらず、全国的な知名度はかなり低い方でしょう。

 

 

しかし大河ドラマ、花燃ゆで大沢たかおさんが彼を演じ、またこのドラマ内でフォーカスされたことで一躍注目を浴びることになりました。実際、楫取素彦の生涯と功績を見てみると非常に興味深い事柄が多く、さすがに幕末の長州藩で政治の中心にいながら生き抜いてきた人であると言えます。

小田村伊之助(楫取素彦)を紹介するに当たり、真っ先に挙げたい事柄は吉田松陰の義理の兄であったこと、薩長同盟締結を画策していた坂本龍馬へ桂小五郎を紹介したこと、さらには2014年に世界遺産へ登録された富岡製糸場に深く関わったということでしょうか。幕末の世を生き抜いてきた小田村伊之助(楫取素彦)の生涯を注意深く覗いてみましょう。

 

生まれから吉田松陰との出会い

藩医・松島瑞蟠(ずいばん)の次男として1829年に生まれる。吉田松陰よりも1年年長である。医師の家に生まれたが、12歳のときに儒官という藩において儒学を教える学者の家柄だった小田村家に養子に入り、このときに名を小田村伊之助に改める。

藩の公的教育機関で入学にも身分や厳しい基準が設けられていた明倫館でも指折りの秀才であったという。後に江戸に赴き、学問に励むがその時に江戸遊学中だった生涯の友であり義理の弟になる吉田松陰と出会い、伊之助が江戸から萩に帰った時には松陰の妹、寿と結婚した。

 

小田村伊之助の兄弟

養子に入った小田村家ではなく、実の父がいる松島家には兄・剛蔵と弟の健作がいた。兄の剛蔵は久坂玄瑞や高杉晋作とともに尊王攘夷派の志士として活動し、勝海舟らとも交流。長州藩では軍備増強のため洋学所の建設に尽力した。しかし禁門の変以降、藩内は幕府恭順の姿勢を見せ、敗退勢力を一斉に排除、弾圧を加えることとなり、剛蔵も40歳で処刑されている。(この後高杉晋作が挙兵)

弟の健作はフラフラと全国を放浪するタイプだったようで、兄の伊之助とはそれほど仲が良かったわけではないという。金銭の工面など世話のやける弟だと書き記しているが、国事には関心が薄くそれほど多くの資料も残っていない。

 

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