真田幸村の家紋の由来/六文銭の意味は三途の川の渡賃などの説

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2016年(平成28年度)NHK大河ドラマ「真田丸」の主人公、真田幸村(本名・信繁)は人気が高い戦国武将です。最近はゲームやアニメの世界でも歴史物が多いので、色んな世代が真田幸村に触れ親しんでいます。

その真田幸村が用いた旗に使用されているのが、真田家家紋の六文銭。この六文銭は何を意味しているのか。

通説では三途の川の渡賃ということが有名ですけど、それ以外の説や推理をしている方も実は結構多くいるんですよ。色々な真田幸村本を読んできた中で、真田家の家紋、六文銭を巡る意味でどんな説があるのかを整理して紹介します。

 

真田信繁(幸村)が用いた真田家の家紋、六文銭の意味は「三途の川の渡賃」が通説

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引用元:「直系子孫が明かす! 真田幸村の真実」P22より。幸村が大坂の陣で戦死した際に使用していたと伝わる旗だそうです。

もっとも有名な説が三途の川の渡賃ですね。

六文銭は仏教上の六道銭と同じ意味で、つまり三途の川の渡賃のこと。これは兵が戦で命を落としても、死後の世界で三途の川を渡れるように、その渡賃である六文銭を家紋としたという説です。

三途の川は御存知の通り死後の世界のことですから、まざに決死の覚悟です。いや死ぬことを前提にした上で闘うものだから、その並々ならぬ覚悟がわかると思います。そういう背景もあってか、相手も六文銭の旗を見ると恐れおののいたとかそうでないとか…。(ちなみに六文銭ではなく六連銭(むつれんせん)という表現もします)

この説は現在最もメジャーな説で、真田家の家紋について言及している真田幸村本ではほぼ間違いなく出てきます。

 

真田家家紋の六文銭についてもう少し詳しく

上記の本では、六文銭の由来について詳しく掲載されていました。真田幸村(信繁)の祖父にあたる幸隆が武田信玄に臣従して以来使っているというのが前提。三途の川の渡賃については、

六文銭には意味がある。数字の六には「地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上」の六道を表すもので、死後生まれ変わってからの行き先のこと。死者を埋葬するさいに三途の川を無事に渡れるよう、その渡し賃として六文の銭を棺に入れ、成仏できるように祈る風習があった。つまり、真田家の武将はこの旗を掲げて「いつでも死ぬ覚悟ができている」との気構えを示していたのだ。

知識ゼロからの真田幸村入門 (幻冬舎単行本)」P134より引用

他には、謎が多い真田家の出自や真田十勇士に関わりがあるとされる海野一族その他の家紋が六文銭だったことから、真田家が六文銭を自然に使用するようになった、との声も。

いずれにせよ真田家家紋の「六文銭の意味は三途の川の渡賃」と同じで、「死を覚悟して闘う」というのが背景だったようです。

 

真田家の家紋を巡る推理…それ以外の六文銭の意味

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引用元:Wikipedia-銭紋

他の説では、こんなものもあります。北条氏政との戦いで、まだ14歳だった真田幸村(信繁)相手方敵将の永楽通宝を旗に描いて夜襲を仕掛けて大勝利したのが由来という説。

1582年に武田が滅亡し、三国峠で上杉軍にほぼ戦わずして勝利した真田軍。その後大軍率いる北条氏政を攻めるも撃退され、14歳という若き日の真田信繁(幸村)が「戦って家名をあげるべし」と父の昌幸に進言。

信繁(幸村)の永楽通宝の旗が相手方で起きた謀反を錯覚させて総崩れさせたという、幸村の功績が六文銭の由来ということらしい…。ただ、この説を紹介している「【猛】列伝 真田幸村と大坂の陣 (ロング新書)」という書籍では、この説についてこう述べて総括しています。

これが、真田氏の六文銭の由来といわれているが、武田家の滅亡著k後はまだ上田城が完成していない。何よりも信繁の先の作戦は良質な飼料で確認できず、この説は疑わしいといえよう。

【猛】列伝 真田幸村と大坂の陣 (ロング新書)」P135より引用

この幸村の作戦から六文銭が出来たという説は、他に「真田幸村のことがマンガで3時間でわかる本 (アスカビジネス)」という本でも出てきました。この本によると、この 説はもともと講談(日本の伝統芸能)から出てきた架空のお話が発端だと書かれていました。さらに、該当する戦いは存在しない、とも。

前者書籍での該当箇所は第四章「真田家の謎を探る」のP134~。後者書籍での該当箇所は第七章「真田十勇士の世界」のP152で掲載されています。

 

NHK大河ドラマ「天地人」を描いた歴史小説家の火坂雅志氏による推理は「星」

NHK大河ドラマでも原作になった、直江兼続を主人公に描いた天地人の著者、火坂雅志氏は「星」が由来ではないか、という推理。なかなか珍しい推理です。

全て引用すると非常に長いので、推理の骨子となる部分を抜粋しながら引用してみましょう。

私は思うのですが、そもそも六つの「銭」ではなく「星」だったのではないでしょうか。真田家は信濃の古族滋野一門です。(中略)彼らは星を祀る一族だったのですね。(中略)いずれも星を紋所にしています。

なかでも真田家が重きを置いていた思われる星があった。それが「昴(すばる)」です。(中略)正しくは六つの星が連なった星団、プレアデス星団のことです。そこあら「六連星」とも言うんですね。

実伝 真田幸村 (角川文庫)」P17より引用

わかりやすく言うとですね、真田家と縁の深い古族滋野一門の海野氏、望月氏、禰津氏はそれぞれ星を紋所(もんどころ)にしていたと。さらに真田家が重視していた星が六つの星が連なった六連星だったからあの家紋になったという推理。

稲作が出来ない山間部に住んでいた彼らは、麦を育てていた。その麦の種をまく時期を知らせる星が昴であり、星を祀っていた一族一問の真田家は六連星を家紋にしたということらしい。その六つの星が連なったプレアデス星団の写真がこちら。

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引用元:Wikipedia-プレアデス星団

うーん、真田家の六文銭の形とはちょっと違いますけどね。真偽の程はわかりかねますが、想像を駆り立ててくれるなかなか面白い推理ではあります。

 

まとめ

真田家の家紋である六文銭一つとっても、調べてみると色んな考えがあるんだと驚かされますねェ。

家紋一つでこんなに色んな推理できる日本の現代人は研究熱心なのか、勉強家なのか、歴史を愛している証拠なのか、はたまたただの暇人なのか(笑)。私はこういう想像を楽しむのが歴史のおもしろいところだと思いますケドネ!

 

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