小田村伊之助(楫取素彦)という人物が坂本龍馬と協力し、薩長同盟締結への協力をしていたという事実はそれほど知られていません。幕末や歴史が好きな人でも、その詳細を知っている人は少数派ではないでしょうか。
大河ドラマの花燃ゆでは大沢たかおさんが演じ、主人公の杉文という女性と後に結婚します。このドラマで脚光を浴び、今後も彼に対する注目度はこれまで以上に高くなっていくと予想できますが、ここでその詳細を振り返ってみましょう。
小田村伊之助(楫取素彦)のことを知っているか知らないかで言うと、知らない人が多いでしょう。しかし、もう少し正確に表現するなれば、「知らないというよりも印象に残っていない」のだと思います。色々な資料や書籍を読んでこられた方であれば、おそらく一度はその名前を目にしているはずですが、それほど大きな扱いをされることが少ない上、言い方は悪いですがチョイ役としての登場が多いので印象に残らないのだと思います。
小田村伊之助(楫取素彦)が薩長同盟へどう関わったのか
photo by wiipedia-坂本龍馬
一言で言うなれば、「坂本龍馬に桂小五郎を引きあわせた」のが小田村伊之助(楫取素彦)です。そして長州藩内部の他の人間にも引きあわせ、度々龍馬との会合にも臨んでいます。小田村伊之助(楫取素彦)は薩長同盟の首謀者でも計画者でもありませんが、ひとつのきっかけを作り計画実行に尽力したことに違いはありません。しかし、ご存知のように同盟締結までの道のりは容易いものではありませんでした。
投獄されていた小田村伊之助(楫取素彦)がようやく釈放される
禁門の変で敗北し、幕府と対立していた長州藩は幕府恭順の保守派が台頭。つまり幕府にはもう逆らわず、これまでに事件を起こしてきた幕府への反対勢力を処罰するという藩論でまとまりを見せていました。小田村伊之助(楫取素彦)はその反対勢力に属しており、かつて吉田松陰が投獄されていた野山獄へ投獄。しかし高杉晋作の挙兵によって幅を利かせていた保守派を一掃、小田村伊之助(楫取素彦)もそれに伴い獄から釈放されています。
西郷隆盛への感情と薩摩藩への憎しみと薩長同盟
長州と薩摩は犬猿の仲。八月十八日の政変と禁門の変で2度京を追い出され、政治の中枢からはじき出された長州にとっては、反対勢力の主軸だった薩摩や会津(もちろん新撰組も)への憎しみは相当なものでした。長州藩士たちは草履の裏側に「薩賊会奸」と書いた紙を貼り付け、それを踏みにじって歩いていたといいます。また、長州の公文書(藩政府における正式文書)においても「薩賊」という言葉を使うほどの憎みようでした。
小田村伊之助(楫取素彦)にとっても、実の兄である松島剛蔵を西郷隆盛の指示によって斬首されています。西郷隆盛はこのとき、幕府への対抗勢力だった首謀者たちを処刑させるよう指示しており、長州藩の保守派はそれに従っていたからです。つまり長州藩の中には保守派と急進派の2つにわかれていて、薩摩を憎み嫌う人々は皆急進派で、その中に小田村伊之助(楫取素彦)も、桂小五郎もいたことになります。