美和と夫・久坂玄瑞の本当の夫婦仲と最後まで恵まれなかった子供

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本当に夫婦仲は良かったのか?久坂玄瑞と美和の関係

By: ajari

多くの書籍、資料の解説をみていくと、久坂玄瑞とその妻の文の夫婦仲は良好であったという解釈が多くみられます。文は晩年、亡き夫からの手紙を捨てきれずに涙袖帖としてまとめていますし、2人の間には強い絆があった…そう解釈されているのが一般的です。

しかし、久坂玄瑞が妻の文(美和)に宛てた手紙を丁寧に紐解いていくと、やさしさや思いやりが溢れる内容というには少し無理があります。今の感覚と当時の感覚はもちろん違うのですが、現代人が当時の手紙を見てみると、どちらかというと「冷たい」印象があります。

夫婦の結婚詳細 ⇒ 久坂玄瑞、嫁杉文と結婚も容姿が好みでなかった説

 

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妻の文とあまり積極的に会おうとしなかった?久坂玄瑞

久米次郎を養子に迎えて、山口で可愛がっている様子を手紙で文に知らせていますが、会おうと思えば会える距離にいる妻の文に会おうという意思は一切見せていません。しかも、江戸に京に忙しく国事に奔走していながら、長州に帰ってきてもあまり文に顔を見せることすら少なった。美和の兄にあたる梅太郎は妹を不憫に思ってか、久坂玄瑞に「一度是非萩に」と懇願する手紙をよこしたほどでした。

ただ、このやり取りと久坂玄瑞の行動を見ているとものすごく冷たい印象を持ちがちですが、当時としてはこの夫婦像は一般的なものだったという意見もあります。武家の妻たるもの「家を守る役目」をもった人という認識が強く、それ以上でもそれ以下でもないという一般的な認識があって、久坂玄瑞もこの認識があったからかもしれません。同時代の坂本龍馬とおりょうのような、恋愛ロマンスが後年注目されたのは当時の恋愛・夫婦事情としてはかなり稀なケースです。

 

久坂玄瑞が会おうとしないという事実をどう解釈するか

久坂玄瑞は長身で美声、美男だったことから京の花街でも人気が高かったと言われます。彼としては妻がいるからこそ安心して国事に奔走でき、家を守ってくれている安心感があったため、妻の文のことを愛情の対象とは少し違った捉え方をしていたのかもしれません。それが良いか悪いかではなく、この考え方は当時の武家社会絵はそれほど珍しい考え方でもなかった、というのがポイント。

大河ドラマでは、久坂玄瑞が積極的に会おうとしないのに対し、文がわざわざ顔を見せて話すシーンもあります。それに守るべきものがあるがゆえに、大胆な行動が出来なくなるのを恐れているという解釈もなされます。この辺は脚本家と制作側がどういう風に解釈したかによって大きく展開が変わってきますので、ドラマでの解釈にも注目してみると面白いでしょう。

 

養子は迎えたが夫婦に実子は恵まれず

久坂玄瑞が死去するまでの7年間の結婚生活で一緒に暮らした期間はせいぜい2年にも満たない短期間でした。夫婦はまだ実子を諦めるほどの年齢ではありませんでしたが、自分の命がそう長くないと悟ったのか、久米次郎という養子を迎えることになりました。

そのため、夫婦の間には最後まで実子に恵まれず終いでした。しかも後に久坂玄瑞の隠し子が発覚するもんだから、妻の美和としては夫を亡くす悲しみの上に受け入れがたい事実が出てきたもんだから、相当に複雑な心中であったはずです。

隠し子発覚の詳細 ⇒ 文の夫久坂玄瑞がお辰(辰路)との浮気で発覚した子供

 

>> NHK大河ドラマ・花燃ゆ大特集ページへ <<

 


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