安政の大獄を指揮し松陰を処刑に追いやった幕府大老・井伊直弼
彦根藩主井伊直弼が将軍、徳川家定の命により大老に就任したのが安政5年(1858年)のこと。NHK大河ドラマ・花燃ゆでは高橋英樹さんが演じます。大老という職は徳川幕府の政治を統括する最高権威職のことで、非常時のみ設置される。だから250年以上続いた徳川幕府の歴史の中で、大老という職に就いたのは井伊直弼を含め9名しかいません。
井伊直弼が大老に就任したということは、やはりその時は非常時な訳です。具体的に言うと、幕府が開国のための条約を締結しようとするも、天皇の許しが出ませんでした。周囲からは条約締結に対して反発と批判の声は出るわ、条約を締結したい諸外国からは「まだか、早くしろ」という圧力がかかるわ、幕府はもう身動きが取れない状況でした。この難しい状態を井伊直弼は強引なやり方で一気に片づけていきます。
条約は天皇の許しなく調印を済ませ、幕府を批判する者は次々に牢屋にぶち込み処刑。吉田松陰も処刑されることになる、安政の大獄です。
吉田松陰が井伊直弼に抱いていた印象
以外ではあるが、当初井伊直弼が彦根藩主に就任した時、民衆を心配したという逸話をもとに「実に人君の歌と一唱三嘆感涙にむせび」とわざわざその感動を兄、梅太郎に手紙で知らせたほど。この当時は井伊直弼と吉田松陰は全く縁遠い、しかも住む世界が違うほど、遠く離れた存在でしたが、松陰は少なくとも井伊直弼に好印象を持っていたことは確かなようです。
それに松陰はもともと佐幕派で、討幕派ではありませんでした。幕府の外交政策を過激な言葉で批判していたが、「未だ必ずしも軽々しく征夷(大将軍)を討滅」とも述べており、その思想が強かったとは考えにくいです。ただ、大老・井伊直弼が各国との条約を強引に締結させたあたりから過激度が増していきます。