葉室麟原作・蜩ノ記の感想と書評

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蜩ノ記

蜩ノ記の感想と書評

役所広司さん、岡田准一さんが主演の映画「蜩ノ記」の原作になった作品。直木賞を受賞したベストセラー時代小説で、反響があった作品だっただけにずっと気になっていましたが、今回映画が公開されたことをきっかけに、やっとこさこの本を手に取りました。

原作の蜩ノ記は文庫本もすでに発売されており、非常に読み応えのある作品でした。割と本を読むスピードが速い私でも、休日ほとんどを費やしところどころ休憩を挟みつつ5時間程度で読破しました。読み終わった後は心地よい疲労感と主人公、戸田秋谷のまっすぐしぎる純粋な生き様の余韻に浸れます。

今回は原作の感想と書評ということで、結末のネタバレは一切なしでいきます。あらすじに関しては記事最後にリンクしてある別記事をご覧くださいませ。

 

 

日本のかつての価値観が織りなす時代小説

この蜩ノ記は九州豊後を舞台にした時代小説。江戸時代の羽根藩の二人の藩士を中心にした物語で、10年後に切腹を命じられつつも余生を精一杯生き抜く戸田秋谷の過去を羽根藩の歴史とともにひも解いていく、そして向井村での百姓との関係をリアルに描きます。

切腹、そして武士としての死生観、生き様、羞恥心、忠誠心…。どれをとっても現代に生きる私たちとは一線を画すものです。武士だけでなく当時の百姓のリアルな生活と価値観も垣間見ることができます。

誰もが持っている人間の光と影があらすじに変化をもたらす

そしてこれらのそれぞれの死生観と生活習慣、風習がこの作品を支える重要なキーになっており、どれ一つ欠けても作品は成立しません。曲がったことが嫌いでまっすぐで純粋な人間もいれば、私利私欲に流され悪と嫉妬、薄汚い人間もいます。

誰しもが綺麗な部分も持っていればその反面、汚い部分も持っているものですが、そのコントラストがまたストーリーにメリハリをもたらし、読者を最後まで飽きさせないスパイスにもなっています。

 

まっすぐな秋谷に誰もが心打たれること間違いなし

戸田秋谷のまっすぐすぎる、純粋すぎる生き様はまさに天晴という他ありません。誰もがこのような生き様にあこがれ、心を打たれるものですが、人間は弱いものです。時に強いものに巻かれ、損得や欲によって自分を見失う生き物ですが、秋谷からはそれをも超越した何かを感じます。

だからこそ秋谷の策に溺れぬ、そして策を講じる人間の常に上を行く豊かな発想力と人望は美しく輝いて見えます。

この物語には様々な登場人物がおり、それぞれに利害があり、時にむごく残忍な手段に打って出る者も出てきます。立場が変われば利害関係も変わり、敵味方の相関図もガラリと変化します。

その中で、自分がこの物語に登場するする人物であれば、あるいはこの人物が自分であったらと想像しながら読むと、この作品からさらに示唆に富んだものになるでしょう。

 

クライマックスは急展開

クライマックスへと突入していく段階では、思いもよらぬ展開が待ち受けています。なぜこの人間が命を落とさねばならぬのか、なぜこの人間がこのような運命をたどるのか、悲痛であり皮肉な展開になっていきます。

作品自体は変化も多く飽きなく読み進められますが、終盤はやはり読み疲れが出てきます。そのあたりから一気に話が展開していくので、若干の疲れを感じつつも、作者の世界観に引き込まれるように一気に読み進めてしまいました。

 

田舎や地方独特の価値観は当時の名残

今でも都心部から離れた地方、田舎ではそこ独特の価値観や風習が残っているものです。現代化された都市近郊に住む人間からすると考えられないことが普通であったり、価値観や世間体を重視する価値観は今でも残っています。

また、村八分といって地方独特の連帯意識、そして厄介者を徹底的に排除する、見方によっては排他的なものも、この蜩ノ記を読むことによって、なぜそのような価値観が形成されていったのか、なぜそのような価値観が必要だったのかがわかります。

やはり、田舎独特の単なる辛気臭いものではなく、立場が弱い自分たち百姓と、その村が生き残っていくために必要だったもの。それは長い日本の時代と歴史が作り上げた必然的なものだったのでしょう。

参考記事:原作版・蜩ノ記のあらすじとちょっぴり結末をネタバレ

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