NHK朝ドラ「マッサン」のヒロイン、亀山エリー。彼女のモデルになったのは竹鶴リタという女性で、竹鶴政孝の妻です。彼女はスコットランド出身ですが、現地に留学をしていた政孝と出会い、後に結婚。その後日本で政孝とともに長く日本で暮らし、日本で生涯を閉じました。
当時は国際結婚は一般化しておらず、好奇の目に曝される厳しい時代。外国人というだけで様々な苦難を乗り越え、夫を支え続けた一途な人生に迫ります。
リタの生涯の概略
まずリタの生涯を時間軸で振り返ってみます。
1896年:スコットランド、グラスゴー近郊の街に産まれる
1918年:リタの妹、エラがグラスゴー大学で竹鶴政孝と知り合う
1919年:クリスマスに竹鶴政孝がリタにプロポーズ
1920年:リタと竹鶴政孝は2人で日本に帰国
1922年:リタ、英語教師として働き始める
1930年:生まれて間もない幼子であった房子を養子に迎える(後にリマと改名)
1935年:余市に移り住む
1956年:札幌の病院に入院。その後体調を崩しがちになり入退院を繰り返す
1961年:1月17日、64歳で生涯を閉じる
当時の日本社会と国際結婚
明治~大正期にかけての日本は既に欧米文化が入ってきてはいたものの、国際結婚など想像もつかないことでした。当時は見合い結婚が一般的で、年長者や権力者、家長が中心となって互いの家柄や経済力、健康状態などを考慮し、互いにふさわしいと判断すると当人同士が会い、結婚に同意するという流れでした。
つまり、恋愛結婚そのものが少数派であった時代、しかも男尊女卑。妻は家で黙々と夫を支え続けることが美徳とされた時代の人間にとって国際結婚など考えられなかったのです。家族の反対や周囲からの風当たりの強さ、好奇の目に曝されるなど様々な苦難があったと言われています。
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