吉田松陰の留魂録と永訣の書の全貌…沼崎吉五郎の意外な功績

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留魂録・吉田松陰が処刑前に同志に宛てた遺書と家族に宛てた永訣書

吉田松陰 留魂録 (全訳注) (講談社学術文庫)

留魂録というと、大河ドラマの花燃ゆでも取り上げられたあの有名な部分、「人生にはそれぞれに春夏秋冬がある」という独自の死生観がよく取り上げられます。留魂録は吉田松陰が安政の大獄で処刑される前日に書き上げた、全十六章、延べ五千字からなる遺書です。

人生には春夏秋冬があり、自分は今三十歳だけれども三十歳なりに春夏秋冬があった…。留魂録は死を直前にした死生観を示したものとしてよく取り上げられますが、この死生観について語ったのは全体のごく一部分に過ぎません。

 

留魂録を書き終えたのは処刑前日の夕刻

吉田松陰は死罪が言い渡された当日に処刑が行われました。しかし、取り調べの中で自分が死罪になることを既に悟っていたことから、処刑二日前に書き起こし、前日夕刻に書き終えたとされています。

家族に宛てた永訣書は、杉家のことや吉田家のこと、お墓のことなど私的な内容でした。そのため、留魂録は同志に宛てたもの、永訣書は家族に宛てたものと解釈するといいと思います。

 

留魂録の内容と全貌

留魂録は全部で十六章。各章でどんなことが書かれていたか、簡単に紹介しますと以下の様なものになります。(あくまで簡単に)

  • 第一章:「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂」という有名な一句、「至誠にして動かざる者は未だ之れ有らざるなり」という申しの一句を用いた独自の思想について。
  • 第二章~第七章:幕府方の取り調べの内容について。取り調べの最中の事細かな言葉のやりとりと経緯、そしてそれに対する松陰の考えが示されている部分。
  • 第八章:あの有名な死生観について述べた部分
  • 第九章~第十五章:江戸伝馬町で獄に入っている時に知り合った囚人の紹介。当時水戸藩の攘夷派の人間も獄に繋がれており、顔を合わせずとも獄内で手紙のやりとりなどで交友を深めた。故郷の同志への紹介と自分が亡き後に託したいことの内容。
  • 第十六章:松下村塾の今後について獄内の人に話しておいたこと、そして最後に和歌が五首。

 

留魂録を現代に生きる私達が見て思うこと

自分が遺書を書き残すのであれば、あなたは何を書くでしょうか?

病気で残り少ない命を悟った時、家族や友人に何を言い残したいでしょうか?

吉田松陰とて一人の人間ですから、死に対する恐怖が全くなかったわけではないでしょう。しかし、自分の死を悟った末に書き上げた留魂録には筆跡の乱れがなく、文脈の乱れもありませんでした。粛々と淡々と、そして執念の決意とその表れのごとく、力強い文字で書かれていたといいます。

ただし、松陰が一人の人間であったことが垣間見れる部分が、留魂録最後の第十六章です。さすがに死に対して思うところがあったのでしょうか、十六章最後に収録されている五首の和歌だけは筆が大きく乱れているといいます。何を思って和歌を書き上げたのか、感極まるところがあったのか…。歴史に名を残した偉人であれ、心を持った一人の人間であったことが窺い知れて、しかも吉田松陰の人間らしさが垣間見れる部分のように思います。

 

留魂録が世の中に出た意外な経緯

松陰が処刑された後、桂小五郎など数名の長州関係者が遺体、遺品とともに留魂録を受け取りました。その中にいた飯田正伯らの手に渡り、萩の高杉晋作、久坂玄瑞など松下村塾の門下生宛に送られています。飯田正伯が彼らに宛てて留魂録を送った手紙には、こんなことが書かれています。

四人の遺恨遺憾、御推察下されるべく候。

別紙留魂録を元書のまま差し送り候御一覧成さるべく候。一言一句涙の種に相成り申し候。この書は極々に同志の人々でなければ決して他見は無用なり(原文ママ)

故郷に送られた留魂録は同志の間で読まれ、内容を写したものが出回りますが原本は読み回しをしているうちに行方不明となってしまいました。しかし、留魂録に対して並々ならぬ執念を持っていた松陰は、なんともう一通同じ内容の留魂録を書き残していました。

 

 

沼崎吉五郎に託されたもう一通の留魂録

吉田松陰は留魂録が長州関係者に託しても途中で幕府によって取り上げられる可能性を供具していました。そのため、同じ内容のものをもう一通書き、それを牢名主の沼崎吉五郎という男に託しました。

沼崎吉五郎は伝馬町の獄を出てから三宅島への遠島の処分が下り、東京に戻ってきた時には既に維新が終わった明治七年。明治九年に入江九一の実弟で、松下村塾の門下生だった野村靖の前にひょっこり現れ、留魂録を渡したという。それまで沼崎は肌身離さず留魂録を大切に保管し、老人となった沼崎の風貌からは重責を全うできたゆえの安堵の表情が見えたとか…。

このあたりの経緯については「吉田松陰 留魂録 (全訳注) (講談社学術文庫)」でも詳しく記されています。留魂録の全文と現代語訳はもちろん、松陰の生い立ちから伝記も詳しく収録されています。

沼崎はその留魂録を褌(ふんどし)に中に入れて縫い付けて保管しており、そのせいもあって四つ折りで縫い目が残った状態だったといいます。山口県萩にある松蔭神社には沼崎が保管していた松陰直筆の留魂録が収められています。そのおかげもあって現代の私達が留魂録の全貌を読み解くことが出来るわけです。いやぁ、ロマンですなぁ。

 

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