北海道果汁とドウカウィスキーのモデル・大日本果汁株式会社

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NHK朝の連続テレビ小説、マッサンにて亀山政春が設立した北海道果汁株式会社。この会社は彼のモデルになった竹鶴政孝が北海道余市に設立した大日本果汁株式会社が元になっており、後にドウカウヰスキーとなる会社もニッカウヰスキーがもとになっています。

 

 

北海道果汁株式会社のモデル大日本果汁株式会社

連続テレビ小説 マッサン Part1 (NHKドラマ・ガイド)

亀山政春のモデル、竹鶴政孝が寿屋(鴨居商店)から独立し、大日本果汁株式会社を設立したのは1934年のこと。ドラマの中で登場する北海道果汁株式会社のモデルです。ウィスキー事業の独立にあたり、竹鶴政孝は2つの問題を抱えていました。

それは第一にウィスキー事業は原酒を作るために最低5年は投資をいなければいけないということ、第二にそれまでに自分が勤め、世話になった寿屋の事業敵になってしまうことでした。資金面では会社設立後はすぐにウィスキー事業をスタートさせるのではなく、最初は北海道余市で採れる良質なリンゴを用いた天然のリンゴジュースの販売で資金を回しつつ、その資金を使ってウィスキー投資を時間をかけて行う方針で事業はスタート。

世話になった鳥井信治郎氏(鴨居欣次郎:堤真一)の事業の敵になることは遅かれ早かれ実現してしまいますが、幸か不幸かウィスキー事業は数年がかりでモノになります。時間をかけつつ資金をまわして投資し、原酒が出来る数年後を目処にしていたようです。

ちなみに、大日本果汁株式会社の会社名の由来ですが、当時は何でも「大日本」とつける風潮があり大日本麦酒(現・アサヒビールの前身)と対向する意味も含まれていました。彼が設立した大日本果汁は後にニッカウヰスキーとなり、現在ではアサヒビールの傘下に入っていますから、これまた不思議な縁を感じます。

 

リンゴジュース、大苦戦

意気揚々と売りだしたリンゴジュースですが、これが売れません。大苦戦です。当時の北海道余市という場所は輸送上、どうしても大阪や東京につくまでに時間がかかってしまい、濁りなどの品質面で問題が発生、さらに輸送費を回収するためにはどうしても価格が高くなってしまうことが苦戦の要因でした。

外国人向けの病院などに卸していたそうですが、赤字会社の噂は広がり、『小樽で「赤字会社のリンゴジュースか」といってばかにされる始末で、これには参った(ウイスキーと私 /P102より引用)』とあります。よっぽどの苦難だったようです。

後に竹鶴政孝はリンゴ酒の製造に着手し、今現在もニッカウヰスキーはニッカーシドルというリンゴ100%のスパークリングワインを発売しています。そのワインは現在では青森県の弘前向上で生産されているようです。

 

そして…いざニッカウヰスキー(ドウカヰスキー)へ

度重なる苦難をなんとか乗り越えながら、ウィスキーの原酒を育ててきた大日本果汁。そして念願のウィスキー製品、ニッカを発売しました。大日本果汁株式会社設立から6年後のことでした。このニッカは大日本果汁の略称、日果からとったもの。ニッカという3文字であれば横書きでも読みやすく、語呂もいい、そしてネオンの場合でも狭いスペースで大きく書けるという戦略がありました。(ウイスキーと私 /P106に記述)

朝ドラ・マッサンの中では北海道果汁株式会社という名前で、その略称からドウカウヰスキーという名前の商品名になっています。その後のニッカウヰスキーの繁栄は今現在皆様は知る通りで、アサヒビールの傘下に入り北海道余市、仙台の2箇所に蒸留所を含む全国7箇所に向上を所有するまでに成長しました。

 うん、朝ドラのまっさん夫婦もここまでくると感慨深いシーンが多くなりそうです!

 

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