猿飛佐助は真田十勇士の中の一人で、人気が高い架空のキャラクターです。真田十勇士が形作られたのは明治後期に世に出た立川文庫で、それ以前に江戸時代に流行した「真田三代記」を前身にしています。
猿飛佐助は真田三代記には登場しておらず、立川文庫で爆発的な人気を博し、今に至っています。2016年(平成28年)NHK大河ドラマの真田丸にも猿飛佐助が登場し、よしもと芸人の藤井隆さんがこの役を演じます。
真田十勇士の一人・猿飛佐助/真田幸村のもとで活躍した甲賀流忍者
信濃の出身の甲賀流忍者。師匠は戸澤伯雲斎。甲賀流忍者というと滋賀県甲賀市を想像しますが、彼は信濃の鳥居峠で修行に励んだという設定です。私は世代が違うのですが、ネットで調べてみるとドリフターズが以前甲賀流忍者と戸澤伯雲斎をモチーフにしたネタをやっていたみたいですね。
一般的な猿飛佐助はやんちゃな少年忍者というキャラクターで、真田十勇士の一人、霧隠才蔵のライバルという位置づけ。
物語では信濃の鳥居峠で生まれ育ち、師匠の戸澤白雲斉に見出され、修業を経て甲賀流忍者の免許を皆伝。偶然鳥居峠に立ち寄った真田信繁(幸村)と出会い、忍法の腕前を見せたところ信繁が気に入り、佐助15歳のときに郎党に加わりました。
忍者人気を後押しした猿飛佐助
戦国時代の忍者は情報収集などで実際に大活躍しました。猿飛佐助は物語の中でも徳川方の情報を各所で集め、時に相手の城に忍び込んだり、危険を顧みず幸村のもとで活躍しました。戦場でも地雷火を用いたり、徳川軍を翻弄。木と木の間を自由自在に飛び回り、小柄ながらチョコマカチョコマカ動いては忍法で相手を翻弄する痛快ぶりが庶民に受けたようです。
学研の歴史まんがシリーズ「真田幸村」では、九度山から大坂城へ入城する際に徳川家康の配下にあった忍者・服部半蔵との戦い、半蔵とともに末に崖から落ちてしまって行方知れずに。その後大阪夏の陣で幸村が家康を急襲している時に突如現れ、「徳川家臣が寝返った」という噂をたちまち流し、幸村を後押しするという活躍ぶりが描かれていましたね。
猿飛佐助のモデルとおぼしき人物は3名…実在説と架空説
豊臣秀吉(当時、木下藤吉郎)の配下にあった三雲佐助、猿飛仁助の子孫、伊賀忍者の上月佐助。他には西遊記に登場する「孫悟空」がモデルとしたと記載している書籍もありましたし、架空の人物ゆえに色んな説が次から次へと出てきます。
ちなみに猿飛佐助は架空の人物とする説が強いですが、その一方で司馬遼太郎氏が『淡海故録』、『茗渓事蹟』という資料を出典に実在説を主張しています。昭和には上野国(今の群馬県)で猿飛佐助の墓が見つかったという情報があったそうですが、真偽の程は不明です…。
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