真田幸村(信繁)の子孫:直系・現在14代目当主徹氏の著作が発売中

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真田幸村(信繁)は大坂の陣で討死しました。彼の息子、大助も豊臣秀頼の自害に伴い、大阪城内で殉死。幸村の兄、真田信幸(信之)の家系は明治まで存続したのに対し、真田幸村の直系子孫は途絶えたかに思えます。しかし、彼には大助以外にも多くの子供がおり、彼らは敵方の保護のもと仙台の地で生き延びています。

真田幸村(信繁)がこの世を去ってから約400年が経過していますが、平成の今でも真田家は存続しています。真田幸村(信繁)の直系子孫は現在14代目にあたり、真田徹さんという方です。

 

真田幸村(信繁)の直系子孫/歴史研究家の14代目当主は幸村本を発売中

直系子孫が明かす! 真田幸村の真実

実は真田家の直系子孫である真田徹氏は歴史好きの間では有名人。2016年NHK大河ドラマで真田幸村が主人公の「真田丸」が放送されるに当たり、「直系子孫が明かす! 真田幸村の真実」という本まで出版されています。

この本は私が10冊ほど読んだ真田幸村関連本の中で一番面白かった本です。徳川宗家18代目当主の徳川恒孝氏との対談に始まり、真田家の家紋や子孫に伝わる系譜、真田幸村に関係する家族関係など、通説と子孫の見立てという独自の切り口で語られた本でした。

真田昌幸が第一次上田合戦で徳川の大軍を打ち破ったことに対し、

徳川は二級線。買って当たり前の烏合の衆 

直系子孫が明かす! 真田幸村の真実」P85より引用

とか

実際、沼田に行ってみると、本当に小さなエリアで、これを守るために、昌幸は天下の徳川家康にたてついたのかとあきれるほどだ。 

引用先・同上

毒舌っぽい独自の語り口で真田家を語ってくれます(笑)こんなことは子孫の立場でないとなかなか公の場では言えませんよねェ。

徳川恒孝氏との対談でも、「大阪に行くと真田さんの方ばかりに人が集まって私のところには人が来ず、いかに人気が違うかを知った」などなど、普通の人の立場からは出てこない歴史の見方や表現があって、めちゃくちゃ面白かったです。

 

真田徹氏は現在歴史研究家としてご活躍中

前述の出版本によると、真田徹氏のプロフィールが書かれているので、それを引用しましょう。

仙台真田家14代目当主。

信州上田市観光大使。

蔵王町真田の郷PR大使。

1948年、仙台市生まれ。福島大学卒業後、大手建設会社に入社。2013年、定年退社後は歴史研究家として活躍中。

直系子孫が明かす! 真田幸村の真実」P13より引用

本の中にはご本人の写真も多く掲載されています。(著作権や肖像権の都合上、お写真の掲載は控えます)白髪交じりで穏和で穏やかそうな風貌のお方です。

兄の信幸(信之)は当時真田幸村について、「柔和で物静か。口数は少なく、怒ったり腹を立てるところを滅多に見たことがなかった」とのことで、「屈託なく人と話し笑いが耐えない人柄」と表現していますけど、まさにそういうイメージでしたね(笑)

ちなみに、その真田徹氏が運営されているHPがありましたので、紹介しておきます。ホームページビルダーというソフトで作っているから7日、時代を感じさせるデザインです(笑)

→ http://www1.odn.ne.jp/cah49810/papa/index.htm

 

真田家がなぜ現代まで脈々と名を受け継いでこれたのか

By: 陳 ポーハン

大坂の陣で真田幸村は奇襲をかけて徳川家康を最期まで追い詰めますが、最期は無念の討死。真田幸村の子供は正室の竹林院との間に二男五女をもうけています。さらに側室との子供も含むと、合計で13人もの子供がいました。

大阪城で幸村が死去した後、そのうちの4人が敵将の伊達政宗の家臣、片倉重綱に引き取られました(引き取った際の経緯については諸説あり)。片倉家に引き取られた4人の子供の中に居た、大八という男の子が生き延びたことで血筋が残ったという訳です。

 

大八は片倉性を名乗り、大八の子供の代で真田性が復活

大八は片倉重綱の保護を受け、成人後に「守信」と名を改めます。正式に伊達家の家臣となった守信は仙台藩士として生き、1640年に伊達政宗の跡を継いだ2代目藩主、伊達忠宗から真田性を名乗ることを許されます。

しかし、幕府からの追求にあった仙台藩は虚偽の系譜を提出するなどして、なんとかその場を凌ごうとします。それでも幕府の追求が止まらなかったため、真田性を諦め、片倉守信という名を名乗ることで決着しました。

それからさらに72年が経過した1712年、守信の子供、辰信(ときのぶ)の代にようやく幕府から真田性を名乗ることを許されました。幸村の死から97年の時を超えてようやく真田性が復活。

その後、仙台真田家は仙台藩士として代々受け継がれ、幕末の時期に真田幸歓(ゆきしげ)がいました。彼はもともと勤王派の立場だったそうですが、仙台藩は奥羽列藩同盟で官軍と戦いました。長州藩士とのいざこざもあって志を果たせぬまま引退し、岩手県の石巻で事務官や書記官を務めて生きたそう。詳細は本書P90~。

 

仙台真田家は養子を含めて幸村から14代目

真田徹氏は14代目の直系子孫にあたりますが、途中4人の養子がいます。そのうち一人は真田家分家からの養子、もう一人は祖父の娘の子供を養子に入れたようです。

その他の2名の養子については特に記述がないので、完全なる直系の血筋の子孫という訳ではないかもしれませんね。(まぁそれでも真田家として受け継いできた直系子孫であることに変わりはないのですが)こういうのを見ると、自分の家の家系や血筋ってどうなっているのか調べてみたくなりますね。

まぁ、名も無き百姓の家柄だと思うけどさ(笑)

 

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