湊かなえさんのNのためにの結末部分、杉下希美の病気と余命に関する記述がありますが、その部分についての解釈について書いてみます。最初に断っておきたいことが2点。まず一点目にそれぞれの解釈があるという前提の中で、これから述べる解釈は私個人のものであるということ。これが唯一無二の正解だなんて言うつもりは一切ありません。
二点目にネタバレ解説という言葉をあえて使いましたが、ドラマ化された映像作品の中での位置づけとは異なる可能性が高いこと。ドラマでは三浦友和さんが演じる役がオリジナルであり、もしかすると病気や余命に関する描き方が原作とは異なっているかもしれないので、その点留意して頂ければと思います。
第五章結末部分に突如現れた杉下希美の病気
作品を読んだ人のほとんどが、第五章最期の部分、杉下希美が病気にかかっているという記述があります。あらすじの本筋では病気に課する記述はほとんどなく、突然現れた病気に対する解釈の落とし所に若干の戸惑いを感じます。そこでもう一度注意深く作品を読み返すと、第一章の最期の部分に関連する記述がありました。
「今の若いヤツらは自分のことしか考えていない。」から始まる、関連する記述部分を引用します。
長くて半年、という余命宣告を受けてしまったとき、 結婚しなくてよかった、
子どもを作らなくてよかった、と思った。
この部分、杉崎希美の一文であることが想像されます。伏線なんてなかったじゃないか!と思っていたらサラッと書いてあったわけです。
で、さらにこんな記述もありました。
自分が守ってあげたことを、相手は知らない。知らせたいと思わない。
なのに、残された時間がわずかと知ると、欲が出てしまう。(中略)
真実をすべて知りたい。そして、知らせたい。
そして第二章以降、成瀬、安藤、西崎、杉下のそれぞれの立場からの真実を語り、杉下希美の10年後の病気の部分に繋がります。つまり、杉下が病気になって余命が迫っていると言うきっかけから、事件の真相に迫っていくという設定があったのです。この設定は作品の粗筋の本筋ではないため、頭のなかから抜け落ちていたケースが多いのでしょう。実際、私もそうでした。
杉下希美の余命宣告と父親の余命に関する記述
また、少し違った角度からの解釈も可能です。杉下希美の父親は我が家は短命に終わる家系であり、50歳までの残り3年は自由に生きるという宣言をしています。その結果、杉下希美はその後の人生に大きな影響を受けるわけですが、その娘である希美が若くして余命を宣告されてしまい、自由に生きようとした父親がのうのうと生き延びている構図も出来上がっています。
実際、第五章最期の結末部分にこのような記述があります。
弟から病気のことが伝わってしまい、相変わらずしぶとく生きている父親が手配してくれた、海が見える白いお白のような病室に、・・・・。
何があっても苦難に屈さずに強く生きようとした杉下希美が若くして余命宣告を受け、余命を恐れて自由に走り子供たちを追い出した父親が生き延びるという皮肉な構図です。それでも、娘のためにかつてのような海が見える白いお城にかけた病室を用意したのは、父親から娘の希美のため。つまりその行いが父親にとっての「Nのために」だったのかもしれません。
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