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杉文と結婚し嫁に持ち、禁門の変で自決した久坂玄瑞の生涯
photo by wikipedia-久坂玄瑞
久坂玄瑞は恩師松陰がその才能を絶賛した、松下村塾双璧の一人です。25歳という非常に若いときに亡くなっていますが、もし維新の時代まで生き残っていれば優れたリーダーシップでさらにその名を歴史に残していたでしょう。
大河ドラマ「花燃ゆ」では東出昌大さんが演じ、井上真央さん演じる主人公の杉文と結婚し夫婦となります。
幼少時代から松陰との出会いまで
長州藩医の家に三男として生まれる。端正な顔立ちと容姿で、美声の持ち主だったという。今風に言うなれば「すごくかっこいいイケメン」!しかも当時としては大男、180cmほどの長身。
ただ、久坂玄瑞は14歳から15歳という多感な時期に相次いで両親、兄といった最愛の家族を亡くし天涯孤独となる。兄の玄機は医師となり、蘭学の分野で長州藩では先駆者であった。藩主から直々に海防策に関する意見を求められ、病床の中必死に意見書を執筆し、まもなく死去した。非常に優秀であったが、若くして他界。玄瑞は私塾で学んだ後、藩校の明倫館で学び、九州へ遊学した。
もともと月性(げっしょう)という兄の友人であった僧から吉田松陰の噂を耳にしており、九州遊学で意気投合した宮部鼎蔵からも吉田松陰に入門することを薦められ、当時獄内にいた松陰へ手紙を書く。当時、玄瑞は17歳であった。
そして松陰との出会いと松下村塾
自らの志と日本の行く末に関して自分の考えを書いた手紙を松陰へ送ったが、松陰はその才能を見抜き意図的にそれを踏みにじった。激しく反論した玄瑞と松陰との間で3往復もの手紙のやり取りが行われ、後に説き伏せられた玄瑞はそのまま松陰の元へ入門する。
吉田松陰は久坂玄瑞を「防長年少第一流の人物」、「天下の英才」といった言葉で彼の人柄を評価し、その才能とリーダーシップをこれ以上なく賞賛していた。後に久坂玄瑞は高杉晋作と並べられ「松下村塾の双璧」、吉田稔麿を含めた「松下村塾の三秀」とも言われている。
松陰の妹、杉文との結婚
家族もない孤独な身であった玄瑞は恩師の松陰の希望もあって、妹の杉文と婚約する。結婚後は松下村塾があり文と松陰の実家である杉家で生活を共にしたが、その期間は僅か三か月足らずだった。
その後久坂玄瑞は江戸へ遊学し、途中立ち寄った京都で過激な尊王攘夷派の志士たちによる活動と幕府の厳しい取り締まりを目にする。そのとき耳にした吉田松陰の間部詮勝暗殺計画、伏見要駕策といった過激な言動にも困惑を見せていく。
吉田松陰から送り付けられた絶交状
日本の行く末を案じて自ら過激な行動をすることを一切いとわない松陰であったが、口だけで一切行動に移そうとしなかった門下生に対し、松陰は怒りを露わにする。恩師松陰に落ち着いて欲しいという血判状を送るなど、門下生は門下生で四苦八苦していたようだが、その怒りは収まらずついには絶縁状(絶好状)まで送りつけた。
後に玄瑞が松陰がいる獄へ訪れ、わだかまりは解けていったようだ。しかしその直後、門下生の思いも虚しく、吉田松陰は斬首により処刑された。